注⑴ 松島仁『徳川将軍権力と狩野派絵画』ブリュッケ、2011年。⑵ 榊原悟「一変狩野氏─江戸初期狩野派をめぐって─」『古美術』96、1990年。⑶ 笠井昌昭他編『訳注本朝画史』同朋舎、1985年、350頁。⑷ これについては拙著「定家詠十二ヶ月和歌花鳥図の展開における探幽図様の意義について─和⑸ 『歌論歌学集成』15、三弥井書店、1999年、66頁。⑹ 「つまる」及び「まこと」論に関しては、大谷俊太『和歌史の「近世」道理と余情』ぺりかん⑺ 前掲注⑸『詞林拾葉』補注41、412頁。 ⑻ 前掲注⑷、99頁。⑼ 『徳川実紀』第九編(新訂増補国史大系)、304頁。⑽ 安村敏信「若衆観楓図」『狩野探幽』展図録作品解説、日本経済新聞社、2002年。⑾ 前掲注⑽安村作品解説。⑿ 畠山浩一「金色の世界─遊楽人物図における総金地表現について─」『黄金美術』ふくやま美⒀ 津田徹英「童子形と沓」『日本の美術442 中世の童子形』至文堂、2003年。⒁ 前掲注⑿畠山論文。⒂ 鬼原俊枝『幽微の探究 狩野探幽論』大阪大学出版会、1998年。⒃ 大桑斉「近世民衆仏教の形成」『日本の近世』1、中央公論社、1991年。および同『日本仏教の⒄ 大桑斉『日本近世の思想と仏教』法蔵館、1989年、277頁。⒅ 鬼原俊枝「狩野探幽の水墨画におけるふたつのヴィジョン」『美術史』137、1995年。⒆ 伊藤大輔『肖像画の時代 中世形成期における絵画の思想的深層』名古屋大学出版会、2011年、⒇ 三崎義泉『止観的美意識の展開 中世芸道と本覚思想の関連』ぺりかん社、1999年。■ 西口芳男「江月宗玩「探幽斎之記」について」『禅文化研究所紀要』28、2006年参照。■ 前掲注⒃大桑論文222頁。■ 『日本古典文学大系』66、岩波書店、1961年、178・201頁。― 367 ―治宗教思想を探幽画が伝えるという機能を果たしていたことの一つの例として位置付けることも可能かと思われる。6.おわりに以上「同時代的視覚」を起点に探幽画の表現を考察してみた。それは「心」本位の余白の象徴性の追求でもあった。これは現時点ではあまりに大きすぎる枠組みであり、今後の各論的な方向に展開していくことが課題となる。特に時代の前後関係や他ジャンルへの継承などを通して検証を進めていきたい。331頁。歌論を背景として─」『美術史学』33、2012年でも論じた。社、2007年に詳しい。術館、2010年。近世』法蔵館、2003年、104頁。
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