ような違いは、どれも不注意によって行われたものではなく、むしろ逆に絵師や製作者が真剣に考えぬいた結論が託されていると見逃してはならない。それが意識的に行われたからこそ、模写作を対象に単なる違い探しはおよそ何ら意味を持たない。さらに言えば、このような場合では、原典と摸写との違いを一々指摘しようとするならば、摸写を読み解く上で的外れだけではなく、大切な絵師の意図を見失ってしまう危険さえある。ここに問いただすべきなのは、そのような差異をあえて作り出そうとした製作者の狙いであり、そしてそれがはたして鑑賞者に共有されたかどうかという、表現の達成である。絵師の表現という視点を摸写研究に取り入れることは、原典再現のみを摸写本に期待するという先入観を見直すことに繋がり、摸写作品への新たな視野が開いてくる。原典と摸写との違い、そして多くの場合において摸写のほうの不備や誤謬を指摘することはたしかに大切な作業であり、摸写研究の基礎としなければならない。しかしながら、原典と摸写との違いをすべて簡単に無意味で、見るに値ないものとして片付けてしまえば、摸写研究は始まらない。摸写は、単なる伝統的な文献の保存や伝播に止まらず、その時代において人々の目に映った絵巻の様子、それに対する理解、真剣に施された解釈が託されていた。その意味において、絵巻の摸写は、ほかならず絵巻に対する絵画的な享受を伝えてくれる格好の資料であり、大切な研究対象に取り入れなければならない。五、豊饒な世界絵巻の摸写は、豊饒な世界を作り出している。伝来された貴重な絵巻についての記録を残してそれの散逸に備え、あるいは摸写された時点の様子を伝えて新たな鑑賞者の目に触れられ、摸写は絵巻の伝播にしっかりと寄与した(注21)。それのみならず、絵巻の摸写それ自体は真剣な表現であり、企画者や絵師の知識、感性と想像力を集約したものであり、それぞれは完成された小宇宙を成している。摸写された絵巻、とりわけ摸写作と原典との差異から目を逸らすことなく、それらを丁寧に分析し、掘り下げて行けば、絵巻原典に対する摸写作者の認識や独自の読み方、新たな読者への伝え方、そしてさらに言えばそれを生み出す社会の常識などさまざまな魅力的な発見に繋がる。このため、摸写作は大事な資料であり、美術、文学、文化などの研究に貴重な参考基準を提供している。絵巻摸写の研究は、いまだ十分な注目を受けておらず、どのタイトルを取り上げてみても、いずれも基礎調査や現状把握から出発しなければならない。膨大な数におよ― 28 ―
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