鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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研 究 者:日本学術振興会 特別研究員PD(大和文華館)  橋 本 寛 子はじめに筆者はこれまで、司馬江漢(1747−1818)の作品を中心に日本近世後期の洋風画研究を行なってきた。さらに今回、江漢と同時代の他流派との制作上での影響関係について考察を進め、洋風表現が江戸に伝播するきっかけのひとつとなった上方の眼鏡絵に着目し、特に円山応挙(1733−95)の眼鏡絵について調査を行った。眼鏡絵は、その特長として、岡泰正氏の指摘のとおり、「見る人に奥まった空間の広がりを錯視させることを目的とするものが、画中に落款や印章を入れて、みずから平面に描かれた「絵」であることを表明するはずがない」(注1)ことから、基本的に無款であり作者の特定は困難とされている。本稿では、これまで先行研究で応挙筆とされてきた眼鏡絵を主題ごとに分類し、それらを整理することによって、描かれた風景図の傾向を明らかにする。そして、それら眼鏡絵の大元の下絵になったとされる神戸市立博物館蔵の応挙筆肉筆反射式眼鏡絵《京洛・中国風景図巻》〔図1−4〕に注目し、応挙の眼鏡絵に見られる洋風表現について確認したい。1、応挙の眼鏡絵制作に関する先行研究と主題の分類について眼鏡絵は、覗き眼鏡とともに直視式と反射式が存在し、応挙作とされるものもこの2種類が現存している。まず、直視式は暗箱の中の凸レンズを通して覗くタイプであり、画面は正像で描かれている。また、直視式の眼鏡絵は、後ろから光を当てて夜景を見せるために、作品に穴が空いているものがある。肉筆と木版筆彩のうち、光を通すための穴が空いている直視式眼鏡絵は、今回調査したものの中では肉筆のみ確認した。次に反射式は、いったん鏡に写して反転させた像を凸レンズで見るタイプであり、画面は左右反転して描かれ、遠近感を強調する構図が多くみられる。また、反射式も夜景表現の眼鏡絵《四条河原夕涼図》があり、同図様の夕方と夜の2種類が組になっていることから、夜景表現は遠近法と同様に眼鏡絵の見せ所であったと想像できる。先述のとおり眼鏡絵は基本的に無款であり、現在応挙作とされるものも例外ではない。しかし、応挙没後の円山派の画家たちによる記述や極書によって、応挙がかつて眼鏡絵を制作したという事実が後世に伝わっている。― 372 ―㉞ 円山応挙の洋風画学習について

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