鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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2、《京洛・中国風景図巻》について― 374 ―人物や樹木などの描写から応挙派の特徴が見られるため、応挙門下の画家による作で応挙が原図を提供していた可能性が考えられる。次に、今回主に調査した応挙眼鏡絵の基準作とされる肉筆反射式の《京洛・中国風景図巻》を中心に、応挙の洋風表現についてまとめていきたい。神戸市立博物館所蔵の池永孟コレクションである《京洛・中国風景図巻》は、「四条芝居小屋図」〔図1〕、「■園御旅所図」〔図2〕、「中国湖水図」〔図3〕、「明洲津図」〔図4〕の順に、合計4図が巻子に貼り込まれている。先の2図が京風景、後の2図が中国風景であり、いずれも紙本著色の反射式の眼鏡絵であることから、画中の看板文字や持物など左右逆に描かれている。作品自体は無款であるが、近代の四条派の画家、奥村石蘭(1834−95)による極書「右四葉/圓山應擧先生正筆証之/明治二十五年十二月日 石蘭奥村庸」と朱文方印「庸」がある。また、それとは別にそれぞれ一図ごとに古筆了任(1875−1933)による極が箱の中に納められている〔図6〕。これらの4図は、いずれもわずか16.3×21.0㎝の小さな画面に、銅版画のごとく細く緊密な線で細部まで丁寧に描き込まれており、どこまで拡大しても描線に破綻が見られない。そして、明るく透明感ある彩色が施され、作品によっては線と彩色による陰影表現も見られる。また、構図に関しては、4点ともに消失点を用いた西洋伝来の遠近法が使用され、他の応挙筆とされる肉筆眼鏡絵は俯瞰図が多く見られるのに対して、《京洛・中国風景図巻》はどれも画面の視点が低い。応挙眼鏡絵の視点について、佐々木丞平氏、佐々木正子氏は応挙の木版反射式眼鏡絵《山鉾図》を例に挙げ、次のように述べている。(前略)まず地面の面としての規定がなされており、その地面の面が見えているということは地面に対して水平より高い所に視点があるということである。そして山鉾の屋根の裏側が仰ぎ見えているということは同時に山鉾の屋根より視点はかなり低いということである。そして山鉾の車輪台の上面がかすかに見えるということは、人の背の高さより少し高い所、おそらく建物の中から見ているという、極めて厳密に規定された視点の位置とその角度が浮かび上がってくるのである。(後略)(注7)

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