鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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3、《京洛・中国風景図巻》に見る洋風表現について― 375 ―(ⅰ)京名所図「四条芝居小屋図」と「■園御旅所図」佐々木両氏の指摘のように、応挙筆とされる眼鏡絵はおおむね画面下部に地面が意識的に描かれている。《京洛・中国風景図巻》中の4点の眼鏡絵についても同様であり、地面を描いて視点を下げることによって、レンズを用いて絵を覗いた時に、俯瞰図よりも観者がその場に居合わせているかのような臨場感をもたらす効果がより高くなると考えられる。《京洛・中国風景図巻》のうち、「四条芝居小屋図」については早くから先行研究が存在する。1938年黒田源次氏は反転して描かれた画中の芝居小屋の外題看板から、宝暦9年(1759)正月の興行であることを明らかにし、その制作年代を同年頃であるとした(注8)。これは応挙27歳にあたる。このことによって、他の3図も同年頃とされている。以上、《京洛・中国風景図巻》の4点の眼鏡絵は、2種類の極が存在することと、画面の描写力、そして制作推定年代が応挙の眼鏡絵制作時期とおおよそ重なることから、応挙眼鏡絵の基準作とされる根拠となっている。《京洛・中国風景図巻》の「四条芝居小屋図」は、芝居小屋が建ち並ぶ四条通りを主題にしたもので、■園に通じる画面右側の消失点に向かって様々な姿の人物が行き交い、その先には遠くの山並が見える。画中の消失点へ向かう中央の橋は画面手前側に広がりながらやや下がり、画面右端の建物は軒裏が見えていることから画面の視点は低く設定されている。そして、観者側に向かって橋を渡る2人の人物は、その奥に位置する人物たちよりもやや大きく描かれ、画面に自然な奥行きが生じている。また、橋の真下で大きく渦を巻いて流れる川は、画面全体に躍動感を与えている。人物の表情は皆豊かで画面右端の目をこする女性の様子からはだいたいの時刻まで分かる〔図7〕。「四条芝居小屋図」は他の3図と比較しても、明らかな陰影表現が見られる。橋の上の背中を向けた黒い着物の人物に注目すると、色の濃淡によって衣の陰影が表現されている。そして、建物や行き交う人物、橋の柵からそれぞれ同方向に影が伸びて、光源がはっきりしている。しかも、それらの影は銅版画のハッチングのように、平行に引いた描線を重ねて表現されている。さらに、遠くの山肌に注目すると、小刻みに揺らせた描線が重なり合い、そのわずか手前の木々は点描で表現されているのが分かる〔図7〕。応挙眼鏡絵に影響を与えたとされる蘇州版画の中にも人物に影のある作

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