鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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― 376 ―(ⅱ)中国風景図「中国湖水図」と「明州津図」品が存在するが、本図は構図を含めて参考にした銅版画の原図があったのではないかとも思わせる。また、観者側に向かって通じる橋の形状について考えると、《京洛・中国風景図巻》と同様に池永孟コレクションである木版反射式眼鏡絵《三条大橋図》〔図8〕や、同コレクションの肉筆直視式眼鏡絵《淀橋眺望図》〔図9〕の画面左下に描かれた橋の形状に引き継がれていることが分かる。岡泰正氏のご教示によると、応挙眼鏡絵に見られる橋の表現は、同時代に一時的に京都で修行していた歌川豊春(1735−1814)が引用し、これが江戸へもたらされて司馬江漢(1747−1818)の銅版画《両国橋図》の表現へ通じるという。さらにはこれが歌川広重(1797−1858)の東海道五十三次のうち《日本橋》の表現にもなっていくのであるが(注9)、こうした画面向こう側から手前に向かって下がる短縮法のような橋の形状は、応挙の「四条芝居小屋図」が元になったのではないかと考えられる。次いで「■園御旅所図」についても、先に見た「四条芝居小屋図」同様に消失点が画面中央にはっきり設定されている。この構図は、いくつか版画が現存している中国風景の《鎮江樹林》〔図5〕と共通しており、画面手前から中央に向かって広い通りが奥に伸びている。画面の右左から大きくせり出す樹木は《鎮江樹林》の並木道の名残であるように見える。また、「■園御旅所図」は建物に対する人物の比率が「四条芝居小屋図」と比較して小さく、《鎮江樹林》の樹木と人物の比率に近い。また、色彩に至っては、「四条芝居小屋図」と同様に、明るく瑞々しい印象を受ける。ここでは地面に落ちる影は見られないが、画面左半分を覆う樹木に注目すると、光が当たっている部分を白地のまま塗り残し、重なり合って奥に位置する枝葉は濃く彩色することで陰影が生じ、樹木全体が立体的に見える。岡泰正氏によって《鎮江樹林》との関連性を指摘されている西洋製の眼鏡絵《貯水池近くのカフェから見た大通りの風景》とも比較すると(注10)、光が当たっている樹木部分を白く残す方法など、輸入された眼鏡絵の彩色に影響を受けた可能性も考えられる。応挙の洋風画受容については、西洋伝来のものを直接写したというより、西洋画法に影響を受けた中国製の眼鏡絵や浮絵を受容したしことが指摘されている(注11)。《京洛・中国風景図巻》の2つの中国風景図「中国湖水図」〔図3〕と「明州津図」〔図4〕(この2図に限って、以下本図巻の「中国湖水図」、「明州津図」と記述する)については、そのことが最も顕著に現れている。両者とも直接中国伝来の版画を模写し

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