4の「śarīra」の表象として選択されたのは、ある意味自然な流れであったと考えられる。そしてこの流れは、少なくとも容器に関する限り、結果的に土着の葬送儀礼を取り入れたものであったとしても、あくまでも仏教的な論理や想像の範疇に根拠を求めることができるものだったのである。内容物のイメージと「形への発想」:舍利の存在を体感するMichael Willis氏の研究によると、インド/ガンダーラでは地域によって、上述した「kumbha」や「Drona」のイメージに通ずる器形だけでなく、「gam4dha-karam4da」や「nālikā」のように、供養具や日用品としてより特定的な用途が確立されていた器形を舍利容器に取り入れるものがあったようである(注15)。東アジアの類例としては、化粧盒にもみられる器形を想起させる西安交通大学構内出土「都管七箇国盒」があげられる(注16)。このような容器は舍利の由来を連想させる形状とはやや異なり、香気や病気平癒など、むしろ舍利の功験を思い起こさせる効果があるように思われ、舍利具に期待された機能を考える際に重要である。仏舎利とは、光輝き、金剛のように固く、水中を自在に浮沈し、自らの意志で供養者のもとに現れ、また供養者に感応して奇瑞を表す存在であった。仏舍利の奇跡性/呪術性は、東アジアでは舍利信仰の比較的早い段階から認識されていた(注17)。数ある奇瑞譚から分かることは、舍利の奇瑞とは何らかの形で体感することのできるものであったということである。このことは舍利容器の形状、素材や装飾の意義を考える手がかりとなると思われる。容器の形状では、例えば、漢訳経典で「kumbha」の訳語として最も頻繁に使われる「瓶」は、中国では仏舎利感得の奇瑞をも想起させる形状であった可能性がある。『出三蔵記集』(僧祐、510−518年)の「康僧会伝」によると、孫権の命を受けた天竺僧康僧会は「銅瓶」のうちに舍利を感得している(注18)。また、大和の例では、法隆寺や岐阜山田寺で発見された高台のある蓋付鋺状舍利容器と類似する器形が「飯鋺」として使用されていたと考えられ、仏事において飯を盛るための容器、あるいはその形状、の舍利容器へ転用は、斎会中(または、より全般的に食事中)の舍利感得の事例を想起させる(注19)。次に、舍利容器の素材について、ガラスを例に考えてみたい。ガラス瓶あるいは壺状の最内容器は東アジア全般で好んで使用された。しかし、経典の記載からは素材は必ずしもガラスである必要がなかったことが明らかであり、事実、金、銀、銅などガラス以外の素材で作られた最内容器も現存している。― 386 ―
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