わせを継承している。よく知られる通り、統一新羅時代の舍利信仰は『無垢淨光大陀羅尼経』(弥陀山訳、704年、以下、『無垢淨光経』)を基盤としていた(注23)。『無垢淨光経』は六種の陀羅尼をあげ、それぞれの供養法とその功徳を説く。透彫り装飾の効果を考える際に、本経に説かれた陀羅尼の効験のひとつとして、宝塔から発せられる火焔のような大光明をあげていることは注目される(注24)。経典によれば、国土が諸悪に犯されようとする時、「根本陀羅尼」を納置した塔は神変によって「大光焔」を出し、「諸悪不祥」を悉く殄滅し、また「怨讎及怨伴侶并諸劫盜寇賊等類」が国土を滅ぼそうとする際には、塔は再び「大火光」を発し、諸兵仗を現出させ、それを見た悪賊は退散するとされる(注25)。伝南原出土舍利具については、埋納方法などの詳細が不明であり、本経典との関連も更なる検討が必要である。しかし、火焔と光明のイメージを媒体として、燈籠や香炉などの火を内包する器形と透彫り舍利容器が繋がる可能性を想定できれば、伝南原出土舍利具に用いられた透彫り外容器の四方から四天王が飛び出すというデザインは、国土を守る「大火光」と「兵仗」の現出への供養者の期待を効果的に表現するものであったとも解釈できる。おわりに加島勝氏は、舍利具が材質や容器の数などは多様であるにも関わらず、入れ子形式を採用している点で概ね共通していることをあげ、ある種の規範が存在し、それが東漸した可能性を指摘された(注26)。本報告では、この「規範」が「分舍利」と関連し、入れ子の形式のみでなく容器自体の形状にも及んだようであること、東アジアにおいては、仏教東漸に不可欠であった翻訳のプロセスを通して、規範に基づく形のイメージが変化・拡張し、舍利容器の器形の更なる多様化に寄与した可能性があることを論じた。また、舍利容器の形状、素材、装飾の多様性の今ひとつの要因として、舍利具が舍利の由来だけでなく、その特性や「動き」をも同時に表現するものだと認識されていたことをあげた。このような舍利具に期待された機能への理解は、舍利の奇跡性が「事実」として捉えられたことによって成立するもので、規範に忠実である必要性の根拠とも成り得る(注27)。このことは、例えば「片流れ式」の棺形が仏教の論理や想像に基づいて取り入れられたと考えられるように、たとえ舎利信仰のあり方が土着の慣習や儀礼を通して変化していったとしても、それは「規範」自体を覆すものではなく、あくまでも、その根拠となった仏教の基本的な救済のメカニズムを効果的に機能されるための手段であったと捉えられる。今後の課題として、舎利信仰にお― 388 ―
元のページ ../index.html#398