⒂Willis氏によると、「gam4dha-karam4d4a」は 「perfume box」、「nālikā」 は「tube or vessel for medicinal注⑴舍利信仰に関する研究は多数あるが、本報告書執筆にあたっては、特に以下の先行研究を参照した。①「特集 舍利容器の問題点」(『仏教芸術』188、1990年)、②「東北学院大学論集 歴史と文化」40、2006年、③「中国・シルクロードにおける舍利荘厳の形式変遷に関する調査研究」(『シルクロード学研究』21、シルクロード学研究センター、2004年)、④John S. StrongRelics of the Buddha、Princeton and Oxford: Princeton University Press、2004年、⑤Michael Willis“Relics and Reliquaries” Buddhist Reliquaries from Ancient India、London: British Museum Press、2000年、12−23頁、⑥加島勝(研究代表者)「隋唐時代の仏舎利信仰と荘厳に関する総合的調査研究」(『平成21年度〜平成23年度科学研究費補助金〔基礎研究(B)〕研究成果報告書』、2012年)、⑦David Jongeard “Survey of Gandharan Reliquaries”Gandharan Buddhist Reliquaries、 Seattle:Early Buddhist Manuscripts Project、 2012年、39−110頁、⑧冉万里『中国古代舍利瘞埋制度研究』文物出版社、2013年。ける仏教儀礼と土着儀礼との融合の重層性について更に考えていきたいと思う。ointment」を意味する。前掲注⑴⑤、18−19頁。― 389 ―⑵本報告では、「入れ子型」舍利容器のセットを「舍利具」と呼び、セットを構成する個々の容器を「舍利容器」あるいは「容器」と称することとする。⑶「遊行経」(『長阿含経』巻三、『大正新脩大蔵経』巻一、20a頁、以下『大正』)。なお、『摩訶摩耶経』(『大正』巻十二、1011b頁)では、金棺+銀棺+銅棺+鉄棺の四重としており、経典によって細部に若干の異同がある。⑷『仏滅度後棺斂葬送経』(『大正』巻十二、114b頁)。同様の記述は『般泥洹経』巻下(『大正』巻一、190c頁)にも見える。⑸『大般涅槃経後分』巻下(『大正』巻十二、902c、910c頁)。⑹前掲注⑴④参照。⑺前掲注⑴④参照。⑻前掲注⑴⑤、13−20頁。⑼河北省文化局文物工作隊「河北定県出土北魏石函」『考古』1966−5、科学出版社、252−259頁。発見時、石函内には地下水が溜まっていたため、内容器の実際の安置状況は不明。⑽『釈迦譜』巻五(『大正』巻五〇、78b頁)。⑾『南史』巻七八(中華書局、1975年、1955頁)。中国における早期舍利信仰に関する記録については、特に以下の研究を参照した。①加島勝「中国・シルクロードにおける舍利容器の形式変遷について」(前掲注⑴③、25−26頁)、②前掲注⑴⑧、8−20頁、③藤善眞澄「中国舍利塔縁起」『荘厳─飛鳥・白鳳 仏のインテリア』大阪府立近つ飛鳥博物館、2001年、7−26頁。⑿『広弘明集』巻十七(『大正』巻五二、213c頁)。⒀現存する最も早い作例は、甘粛省大雲寺塔基地宮発見舍利具(延載元年[694])である。前掲注⑴⑧、159−162頁。⒁岡林孝作氏の研究から、「片流れ式」の棺形は元来北方民族の葬送慣習であったが隋代には完全に定着していたことが分かる。岡林孝作「中国における木棺と棺形舍利容器─いわゆる「片流れ形式」の木棺形態をめぐって─」、前掲注⑴③、100−101頁。
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