― 398 ―田と川島のギリシア舞踊練習風景の写真〔図3、4〕とを分析することが可能となった。レイモンドのギリシア舞踊は平面性を強調する動作を行うために全身の全ての関節の日常の可動性以上に平面的プロフィールを保つ姿勢を要求され、また写真に表現された瞬間のポーズのバリエーションを音楽に合わせて踊っていくことは柔軟性、屈伸性等の身体能力を高めていかなければならなかった。藤田はギリシア舞踊習得の初期の段階にあっては兄弟子ともいえる川島が傍にいたために身体のポーズの矯正を指示してもらいながら練習を繰り返ししたであろう。舞踊教室に全身を映す鏡があったのかは確認できないが、妻とみ宛て資料における自分の部屋を映した写真〔図5〕から約50×40㎝の鏡が置かれており、無意識のうちに自分の姿態、姿勢、表情を詳細に観察することが日常化、習慣化されていったと考えられる〔図6〕。渡仏初期修行時代の前半期、後半期を通して現存している唯一の《自画像》は1917年に描かれている〔図7〕。同年3月に再婚したフェルナンドを描いた《女性像(妻)》と対となす作品である〔図8〕。フランス人で画家の彼女との結婚で、藤田はフランスに本格的に同化していく。そんな自分自身を観察した1917年作《自画像》は、後半期の1917〜19年にかけての数多く描かれた人物像作品と共通した特徴を持っている。浮世絵的なそして東洋的な雰囲気を醸しながら、平面的で真横からのプロフィール表現は、ギリシアの壺絵やエジプト絵画の模写した経験に加えてレイモンドのギリシア舞踊メソッドにおける藤田自身の身体訓練を経験した影響の可能性は大いにあるといえよう。また、沈思する藤田の額に触れるか触れないかの左手の指、面相筆を持つ右手の指は、細く繊細にそして故意に長く描かれている。特に指及び手に関しての繊細な描写は後半期に共通した藤田独特のスタイルで、指に関しては指の中節骨の部分と基節骨の部分、そして手の甲の部分がより長く細く描かれるのである。また、この《自画像》の手と同じように対象物に指先で触るとか、これから触れようとしている指、手の甲、手の平の描写がまるで作品を観る者に指先の触覚、手の平の触覚を喚起させるのではないだろうか。渡仏初期修行時代前半期のギリシア舞踊習得の時代の身体感覚があってこそ可能な藤田独自の描写といえるであろう。また、《女性像(妻)》におけるフェルナンドは、右手に小鳥をのせ、左手は左の肘を頭の上方にあげてまるで舞踊を踊る所作のようにみえるのも藤田独自の描写ゆえといえるであろう。渡仏初期修行時代の後半期における人物画は藤田独自のスタイルに発展させるのだが、前半期においてはルーヴル美術館のギリシア壺絵やエジプト絵画の模写であり、キュビスム的な人物像を描いてみたり、自分の納得のいった風景画のプリミティヴ的
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