グローバル地域研究機構 特任研究員 奈良澤 由 美― 31 ―研 究 者:東京大学 総合文化研究科このナルボンヌの『聖墳墓のメモリア』は、象徴性の強い中世の聖墳墓のレプリカとは大きく隔たり、さりとて9世紀以前の時代に類例はなく、極めて孤立した作例である。その重要さにもかかわらず、知名度があまり高くないままであるのは、聖墳墓との関連性についてのためらいと、作品の特殊さゆえであろう。この研究の目的は、実際に作品を詳細に観察・分析したうえで、聖墳墓との関連性を再検討し、この模型がどのように使われたかを明らかにすること、また、この特殊な事例がなぜ成立し得たのか、同時代のコンテキスト、さらに古代の伝統について、調べることにあった。17世紀、ナルボンヌ(フランス、オード県)の司教座聖堂からそれほど離れていない場所に立っていた『モレスクの塔』、つまりモール人(イスラム教徒)の塔、と呼ばれていた建築物が解体され、その基礎部分から数多くの碑文や彫刻の断片が発見された(注2)が、現在『聖墳墓のメモリア』と通称されている神殿の形をした大理石彫刻(注3)は、そのうちのひとつであった。考古博物館の所蔵となった当初、これがいつの時代のものであり、何であるのか、研究者を困惑させていた。P. Tournalによるナルボンヌ博物館のカタログ(1864年)では、この彫刻の様式がもはや退廃した時代の様式であり、「聖墳墓の粗雑なイミテーション」、あるいは「聖体を納めたキボリウム」、あるいは「ただ単に芸術家のきまぐれ」に過ぎないのではないかと記述されている。M. Bouet(1868年)は、制作年代は11−12世紀、機能については、聖皿・聖杯を収めるための壁がんを背後に備えた祭壇だったのではないかと述べている。L.Sigalの1925年の論文は、この作品についての最初の重要な研究であり、5世紀にその制作年代を同定し、聖遺物を収めた聖遺物容器であるとその機能を同定した。一方、L.Sigalはこの彫刻と聖墳墓の関連性については奇妙なほどに全く言及していない。P.Tournalがすでに示唆しているように、聖墳墓との形態的類似についてはごく初期より認識されていたが、その認識はあいまいなものであった。この大理石彫刻がコンスタンティヌス時代の聖墳墓の「最も確かなコピー」であると、最初に指摘したのはR.Reyであった。それ以降、J. Lauffrayや, 特にJ. Wilkinsonの研究のように、むしろナルボンヌのこの大理石彫刻からコンスタンティヌス帝建設の聖墳墓の構造体を復元しようとする研究が続く。④聖なる形:ナルボンヌの「聖墳墓のメモリア」をめぐる研究(注1)
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