研 究 者:栃木県立博物館 学芸嘱託員 深 沢 麻亜沙はじめに九体阿弥陀像は藤原道長の発願によって無量寿院に安置されたものが初例とされ、平安時代後期に多く造営されたことはよく知られている。現在史料等から約30数例が確認されているが(注1)、その頃に造像された九体阿弥陀像のうち、浄瑠璃寺九体阿弥陀像は木彫像として現存唯一の遺例である。しかし浄瑠璃寺九体阿弥陀像(以下浄瑠璃寺像)は、中央に坐す周丈六像(以下中尊像〔図1−1〕)とその左右に坐す八体の半丈六像(以下脇尊像(注2)〔図1−2〜9〕)の間で作風に違いがみられることと、浄瑠璃寺の根本史料とされる『浄瑠璃寺流記事』(以下『流記』)に造像に関する記事が明記されていないことから、その制作年代もいまだ定説がない状態にある。本報告では、浄瑠璃寺像のおおよその制作年代を提示した上で、主に中尊像と脇尊像の印相の違いの意味について、先学の研究に導かれながらさらに踏み込んだ解釈を提案したい。また、平安時代に流行した九体阿弥陀像全体の様相についても改めて考察を試みたい。1.浄瑠璃寺九体阿弥陀像をめぐる問題と再検討浄瑠璃寺像の制作年代に関する先行研究は以下のとおりである。 Ⅰ.永承2年(1047)同時一具(注3) Ⅱ.嘉承2・3年(1107・08)同時一具(注4) Ⅲ.中尊像:永承2年、脇尊像:保元2年(1157)(注5) Ⅳ.中尊像:嘉承2年以前(11世紀後半)、脇尊像:嘉承2・3年(注6) Ⅴ.中尊像:長治2年(1105)あるいは嘉承2年、脇尊像:保元2年(注7)『流記』(注8)によると、永承2年は本堂造立の年にあたり、嘉承2年は本堂を壊し本仏を西堂に移した年で、翌3年に総供養が行われていることがわかる。そして保元2年は本堂を西岸に移築したと記されている。また、長治2年は中尊像の像内に納入されていたと伝わる十二体一版の印仏に記された年紀にあたる。このように、浄瑠璃寺像は九体を同時一具の作か、中尊像と脇尊像の間で造像時期に差があるとみるかで意見が分かれ、また、その制作年代についても、『流記』の記述と胎内納入品の年紀をもとに諸説併立している。― 404 ―(1)浄瑠璃寺史における仏像(薬師と阿弥陀)と関与した僧侶ならびに仏師について㊲ 浄瑠璃寺九体阿弥陀像を中心とした平安時代後期の信仰と造像に関する研究
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