鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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― 411 ―れ、不空訳『金剛頂経観自在王如来修行法』にその典拠がみられることはすでによく知られており(注59)、定印を結ぶ阿弥陀如来は、行者と阿弥陀が一体となるための観想法の対象とされている(注60)。ここで先にも取り上げた、阿弥陀法の根本儀軌とされる『無量寿儀軌』をみてみると、修行者毎日三時。常誦此讃歎仏功徳。驚覚無量寿如来。不捨悲願。以無量光明照触行者。業障重罪悉皆消滅。身心安楽澄寂悦意。久坐念誦不生疲惓。心得清浄疾証三昧。即入観自在菩薩三摩地。閉目澄心。観自身中円満潔白。猶如浄月仰在心中。於浄月上。想紇哩〔二合〕字放大光明。其字変成八葉蓮花。於蓮花上有観自在菩薩。相好分明。左手持蓮花。右手作開敷葉勢。是菩薩作是思惟。一切有情身中。具有此覚悟蓮花。清浄法界不染煩悩。於其蓮花八葉上。各有如来入定結跏趺坐。面向観自在菩薩。(中略)以此覚花蒙照触者。於苦煩悩悉皆解脱。等同観自在菩薩。即想蓮花漸漸収斂量等己身。即結観自在菩薩印。(中略)由結此印及誦真言加持故。即自身同観自在菩薩等無有異。(〔〕内割書。以下同じ)(注61)とある。すなわち、行者は毎日三時に無量寿如来讃を誦し仏の功徳を讃歎すると、無量寿如来は禅定から目覚め光明で行者を照らし、行者の罪障を悉く消滅してくれる。そして行者は心が清浄な状態で観自在菩薩、つまり観音菩薩の三摩地に入り、心中の浄月上にキリーク字が大光明を放っているのを観想する。キリーク字は八葉蓮華になり、その中心には観音菩薩が、蓮華の八葉にはそれぞれ禅定に入った如来が観音菩薩の方を向き結跏趺坐している。覚華(悟りの花)に触れると苦しみや煩悩から悉く解脱できるため、行者は観音菩薩の印を結んで真言を唱え、観音菩薩と等しくなるよう説かれている。八葉それぞれに入定して坐す如来とは定印を結んだ無量寿如来のことであり、つまり八人の定印阿弥陀如来が観音菩薩の方を向いていると理解できる。不空訳『大楽金剛不空真実三昧耶経般若波羅蜜多理趣釈(『理趣釈』)』の「観自在菩薩般若理趣会品」では、中央に観音菩薩、八葉に八仏を配した曼荼羅として類似した内容が説かれ、最後には行者がキリーク字を持せば一切の災禍疾病を除き、命終後は極楽浄土に上品上生できるとある(注62)。このように、『無量寿儀軌』や『理趣釈』においては、行者が観音菩薩と一体となることが説かれている。なお、『行林抄』や『秘鈔』、『薄双紙』など12世紀半ば以降に成立した事相書には、はじめに定印を結んで観音菩薩の三摩地に入ることが説かれ

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