鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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大宮康男「浄瑠璃寺九体阿弥陀像造立考」『仏教芸術』224、1996。 礪波恵昭「南都の浄土信仰と造像活動の一形態─迎接坊経源と浄瑠璃寺九体阿弥陀像をめぐっ⑸ Ⅲ説を説く論考は次のとおり。 金森遵「浄瑠璃寺阿弥陀如来の造立年代」『日本彫刻史の研究』河原書店、1949。⑹ Ⅳ説を説く論考は次のとおり。 田中義恭「阿弥陀如来坐像」『大和古寺大観 第7巻 海住山寺・岩船寺・浄瑠璃寺』岩波書 淺湫毅「浄瑠璃寺の九体阿弥陀と四天王像をめぐって」公益財団法人仏教美術研究上野記念財 なお、田中論文では8号像のみ12世紀末まで下る可能性を指摘している。⑺ Ⅴ説を説く論考は次のとおり。 関根俊一「浄瑠璃寺の九体阿弥陀如来像について」『近畿文化』583、近畿文化会、1998。 井上英明「浄瑠璃寺九体阿弥陀像の制作年代について」『帝塚山大学大学院人文科学研究紀要』 八田達男「浄瑠璃寺の本尊をめぐって」『日本宗教文化史研究』33、日本宗教文化史学会、⑻ 『流記』の翻刻は、『大和古寺大観 第7巻 海住山寺・岩船寺・浄瑠璃寺』(岩波書店、1978)と『加茂町史 第4巻 資料編1』(加茂町、1997)に掲載されているが、両者には記述に若干の差異が認められる。筆者は原本調査を行い、前者の方が妥当であることを確認したため、本報告では『大和古寺大観』掲載の『流記』を参照する。⑼ 東京美術学校編『南都十大寺大鏡 西大寺大鏡 第3 浄瑠璃寺・岩船寺』解説、大塚巧芸社、 金森遵「浄瑠璃寺阿弥陀如来の造立年代」『日本彫刻史の研究』河原書店、1949。 中野玄三「薬師如来像」清岡卓行・佐伯快勝『古寺巡礼 京都7 浄瑠璃寺』淡交社、1976。 たなかしげひさ「浄瑠璃寺の薬師坐像と十二神将像」『史迹と美術』49(4)、1979。⑽ 田中義恭「薬師如来坐像」『大和古寺大観 第7巻 海住山寺・岩船寺・浄瑠璃寺』、岩波書店、 深沢麻亜沙「浄瑠璃寺薬師如来像と平安後期の南山城の宗教空間」『美術史学』33、東北大学 前掲注⑺八田論文。⑾ 坂井孝一「伊豆僧正恵信─或る門閥僧侶の悲劇─」『創価大学人文論集』5、1993。⑿ 末柄豊「東京大学史料編纂所所蔵『興福寺年中行事』について─『尋尊大僧正記康正三年暦 また、正応4年(1291)前後の成立と考えられる内閣文庫所蔵『興福寺年中行事』の9月25日にも「伊豆僧正御房御(忌)(※以下欠失)」という記述がある(笹田治人「内閣文庫蔵本興福寺年中行事」『大和文化研究』12〔8〕〔9〕〔12〕・13〔1〕〔5〕、1967・1968)。⒀ 仏師については主に以下の論考を参照した。 佐々木あすか「奈良仏師運慶の登場」山本勉監修『別冊太陽 運慶─時空を超えるかたち』平 根立研介『ほとけを造った人びと─止利仏師から運慶・快慶まで』吉川弘文館、2013。― 415 ―2013。1934。1978。て─」『奈良学研究』2、帝塚山短期大学奈良学学会、1999。店、1978。団平成26年度「研究発表と座談会」研究発表、平成26年5月12日。4、帝塚山大学、2003。大学院文学研究科美術史学講座、2012。記』の紹介─」『東京大学史料編纂所研究紀要』11、2001。凡社、2010。

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