― 423 ―処奇観」と記されている。当時、学者のなかには独自に三景や十二景など名所を選定することがあったという。そして、元禄年間には、林春斎の日本三景観でほぼ定まっていたとされている。この日本三景の成立時期と名所図屏風の制作時期とが重なることから、知念理氏や伊藤太氏は少なからず相互に関係があることをを指摘する(注4)。景観論でも、絵画史でも、名所ブームの時代であったと言えるだろう。極言すれば、名所図屏風の盛行こそが、景観論の展開や名所選択の一因になっていたのかもしれない。名所図屏風における天橋立図の定型定型構図は、周知の如く雪舟筆「天橋立図」に通じ、天橋立周辺を高い位置から俯瞰した構図で、視点は栗田半島もしくは宮津湾の遙か上空である。天橋立図屏風の主なランドマークは次の四ヵ所で、これらはいずれの作例にも見られることから「定型の構図」と一括りにされてきた要因となっている。①天橋立砂嘴 … 砂州・松林・磯清水・橋立明神(堂)②智恩寺周辺 … 文殊堂(本堂)・多宝塔・山門・鉄湯船・鳥居・天女堂(弁天堂)③籠神社境内 … 鳥居・社殿 ④成相寺周辺 … 寺院建築・参詣道三 図様の分析と類型の可能性図様の分析方法これらの図様比較では類型を導き出すことは難しく、さらに詳細な図様を抽出することが必要と考えた。分析を行う対象作例は、〔表1〕の内、近世初期の天橋立図屏風24例とした。図様の比較と分類の結果をまとめたものが〔表4〕である。表中の最左列は〔表1〕の番号に準じている。画中に見られる図様(四つの主要景観を含む)を可能な限り細かく挙げ、その有無を記した。存在が確認できるものには「○」、不明瞭であるが非在ではないものには「△」、確認できないものには「-」を付した。智恩寺の東の海中にある「天女堂」の項目では、対岸から拝んでいる人物を伴う場合に「◎」とした。また、図様比較は二段階に分けて行ったが、本稿では割愛した。〔表4〕では分類する上で必要と思われる図様だけを抽出し、類型ごとに並べ替えている。類型の仮説図様の有無や形状、表現方法の類似などにより、〔表4〕のように類型の仮説をた
元のページ ../index.html#433