鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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― 427 ―津城を無理矢理画面に引き入れていることから、この土地に精通する人物の存在が制作背景に関わっている可能性も考えられるだろう。平塚市博本にいたっては、「鷹狩」から城内に戻る一行が描かれており、これ以外には見られない図様となっている。この宮津城が描かれたために、通常その位置に配される牛飼いの図様が第二扇へと移行している。二つめの特徴は、智恩寺の形状が円形であること。これはA群の鍵穴型の円部分から写し継がれる過程で変容した結果、正円形へと抽象化されたとも考えられるだろう。平塚市博本に関して付記しておけば、他の系統とつなぐいくつかの要素がある。智恩寺の山門周辺に着目すれば、茣蓙の中央に太鼓を据えて踊る人に見ている人。風俗描写の違いは個別的なアレンジであるとしても、境内に敷物を広げて人々が集うという場面は、C群やD群と共通するものである。さらに、秋景に描くというE群特有の特徴をも有する。これらのことから、平塚市博本の属するF群は、C群とE群と関連性があることになるだろう。さらに、平塚市博本には中世のイメージを纏う図様が砂嘴上に見られた。頭襟に結袈裟を着た山伏が法螺貝を手に後ろをついて歩くのは、幼さの残る修行者。よくある図様だが、天橋立という土地においては、謡曲『丹後物狂』の彦山で修業した花松のイメージを連想させるものである(注9)。四 まとめ ─二つの「天橋立・厳島図屏風」の位置づけ─ 予てより個人蔵本と黎明教会本の「天橋立・厳島図屏風」を重要視して研究してきたが、これまで黎明教会本は『屏風絵集成』第十巻に個人蔵として所載される他はどこにも掲載なく、所蔵先も不明であった。両者は同一工房作の可能性が考えられたが、詳細がわからなかった。しかしながら、本研究の過程で所蔵先が黎明教会研修館であると判明し、幸いなことに個人蔵本と黎明教会本、双方を調査させていただく機会を得られた。そこで、二つの「天橋立図」の詳細な図様の分析を行うとともに、描かれている土地のイメージを解明することを試みた。尚、誌面の都合上、多様なイメージを省略せざるを得ないことから、結論だけ簡単に述べておきたい。個人蔵本と黎明教会本は事前に推定していた通り、同一工房の作品と考えられた。構図や主要景観の形状は一瞥して差異がないことから、輪郭線のみを抽出して重ね合わせたところ、写しズレは見られるもののほぼ一致した。このことから、「型」の存

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