― 34 ―生の岩であるので、岩自体は美しくなく、たとえば、ピアチェンツァのアントニヌスの巡礼記(注7)(6世紀)では、墓の岩は臼石のようだと述べている。それを、コンスタンティヌス帝は「選りすぐった柱一式と数多の装飾」で飾り、「きらきら光る美しい姿に」した、とエウセビオスは記述する(注8)。ピアチェンツァのアントニヌスは、鉄の棒に壮大な数の装飾品が吊るされ、腕輪、首飾り、指輪、頭飾り、花綱、帯、金や宝石で出来た王達の冠で飾られていたと伝える。アダムナンが口述筆記したアルクルフの聖地についての記述 (680年頃)(注9)には、聖墳墓の外側の全ては選りすぐった大理石で飾られ、屋根は金で飾られ、黄金の十字架を頂いていると記されている。よって、柱は数多の装飾の内の大事な要素であり、おそらく大理石で造られた柱を外壁に付け柱として取り付け、柱と柱の間の壁には大理石の薄板を張っていたのであろう。屋根の頂上には、少なくともペルシア軍の侵攻後の時代には、金の十字架がはめ込まれていた 。墓の入口は東側にあり、キリストの遺骸を横たえた寝台が、墓の内側、北部分に、同じ岩に掘られていると、アルクルフは伝えている。「墓の中で、昼夜ずっとランプが燃えている。ランプの数は使徒にならって12であり、4つは墓のすぐ下の床の上に、8つは墓の上端、右側に置かれている」(注10)。ピアチェンツァのアントニヌスによれば、「主の身体が横たえられた場所には、その頭の場所に青銅のランプが置かれている。ランプは昼も夜も燃やされている」(注11)。聖墳墓の屋根の形については、フォーティオスは以下のように記述している:建築家はカーブしたヴォールトを放棄したようであり、屋根には円形を望み(普通の屋根の形よりも)、屋根の小さな梁を切妻屋根よりも円錐の形に集中させて、煙突のように高くした(注12)。屋根の形については、図像資料がより明確な情報を提供してくれるであろう。モンツァとボッビオに保存される銀製の浮彫装飾付きフレスコは、パレスティナの聖地を訪れた巡礼者たちが聖油を入れて持ち帰った瓶であり、聖墳墓の図像の中で現実の聖墳墓の姿を最もよく伝えているものと見なし得る(注13)。特に詳細に聖墳墓の姿を表現している「モンツァN°3」〔図8〕では(注14)、前に2本、後方に2本の柱と多角形の円錐形の屋根により構成されている。屋根には頂上に集まる稜線が表され、頂上には十字架が見下ろしている。柱の間には、中央に開口部を設けた格子の柵があり、上には3つのランプが四角い布(?)から吊るされている。開口部には三日月状のアーチと、その下に櫃のような卓のような物体が表されている。少し簡略化されている「モンツァN°5」〔図9〕の聖墳墓では、前方の柵の開口部に、やはり三日月形
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