鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
447/620

― 437 ―ました。これは、現場で見て以来ずっと我慢できずにいた点なのです。このおかげで、それらも作品全体もずっと良くなると思います。」(注15)もしも《ヘラクレスとネメアの獅子》でも、ヘラクレスもしくは背景の羊飼いが拡大されているとすれば、ヴァションの挿図にきわめて近い西美素描は、変更後に描かれたと考えるのが自然である。ただし、ヴァションの挿図をカルナヴァレの素描と比べると、確かに羊飼いの大きさは少し大きくなっているが、フライブルクの油彩習作とのあいだに比例の違いはないようである。また、ヴァションに下絵を提供したアンドリューが実際にいつ何にもとづいて描いたのかは不明である。しかしこれに関連して、ファルコン=ウィーベは、キングストンのアグネス・エザーリントン・アート・センターが所蔵する《ネメアのライオンの皮を剥ぐヘラクレス》〔図10〕について、ヴァションの出版物のためにアンドリューが手掛けた素描のためのスケッチである可能性を指摘し、現所在不明のアンドリューの素描自体への注目を促している(注16)。ここであらためて西美素描を見てみると、ヴァションの挿図の描き方にあまりに似ていると言わざるを得ない。また、同じくトレース素描である上記のブルボン宮の素描群と比較すると、西美素描に見られる描線やハッチングの弱さは否めない。これはヴァションの出版物のためにアンドリューが描いた下絵素描なのだろうか。一方、西美素描と密接に関係する素描がアンジェ美術館に所蔵されていることもわかった。〔図11〕同じくトレーシングペーパーによるこの素描は、西美素描とほぼ同じサイズ(25.9×47.2cm)、構図である上、西美作品の画面左の広い欠損部とほぼ同じ個所だけが描き残されている。比べると、アンジェの素描の描線は西美素描よりも簡潔である。前者は後者をさらに写し取ったということなのだろうか。この画面左の部分は、アミアンなどの初期の素描から、完成作に近いフライブルクの油彩習作やヴァションの挿絵へ見ていくと、とくに変更の大きな箇所の1つである。アミアン作品で画面左手に描かれていた羊飼いたちの姿は、完成作では消え、岩山のような背景に置き換えられた。西美素描は保存状態が悪く、多数の修復跡が認められるが、とくにこの左部分は最も紙の欠損が大きく、補紙が加えられている。この欠損は単なるダメージなのか、あるいは、構図の変更を検討するためにこの部分を画家が自ら切り取ったものなのか。今後、この点も合わせて検討していくべきだろう。なお、この補紙には、上部の枝先を延長するように小さく葉が描き足されているが、おそらく修復時の加筆である。

元のページ  ../index.html#447

このブックを見る