鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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― 448 ―吉田2件、小清水2件、成田2件、本田2件、榎倉3件、高山1件、原口2件と、アメリカでの2011年の個展以外でもこれまでヨーロッパやアメリカといった欧米圏で着実に展覧会を行ってきた李を除き、多くの作家に『MONOHA』および『太陽のレクイエム』の重複、もしくはその展覧会カタログのみという検索結果がみとめられた。また、例えば高松次郎であれば3件、斎藤義重は2件というような検索結果からも、日本国内のみの流通や、日本語表記に限られる展覧会カタログ等の文献資料については、もの派の多くの作家同様の結果であった。また、GRIのリサーチ・ライブラリーでの配架について、展覧会に関わる書籍やカタログは主に「N」のカテゴリーに属し、それらはL2の場所で日本であれば「N7350」から「N7359」までが割り当てられている。主にアジア地域がその前後を占め、「N7345」以降が中華人民共和国、「N7360」以降が大韓民国となっている。またNには、それぞれNA(建築)、NB(彫刻)、NC(ドローイング)、ND(絵画)、NE(版画)など分野ごとにカテゴリーが設けられ、それらはL3にまとめられている。そのNA以降のカテゴリーについても、地域、国別に分けられており、日本の美術作家に関する開架の文献は他の国の作家同様にL2とL3に階を分け、また分野ごとに分散されて置かれていた。特にGRIの検索システムに準ずる書籍情報では、カタログの場合、展覧会情報や目次が入力されている。『太陽のレクイエム』は、アメリカで初のもの派の回顧展の記録をおさめた図録という特徴だけでなく、1960年代後半から1980年代までのもの派作家による論考を収録していることも、英語圏でのもの派の理解において、貴重な資料といえるだろう。例えば、1970年の『美術手帖』2月号の特集で組まれた座談会「〈もの〉がひらく新しい世界」は、出席者に李、関根、菅、小清水、成田、吉田が名を連ね、もの派としてその後知られることとなる作家たちの当時の具体的な発言が多数記録されており、『太陽のレクイエム』では、「Voices of Emerging Artist: “Mono Opens a New World”」として英訳が掲載されている。文中では、もの派について今も代名詞のGRIでの日本の戦後における美術作家の資料収集、または検索システムや配架における情報の整理について、特にもの派という名称での具体的な資料のまとまりは本調査では認められなかった。一方で、1988年にイタリアで開催された『MONOHA』以後、約25年を経過して『太陽のレクイエム』が資料として新たに加わり、それらが「もの派」というカテゴリーにおいて改めてアーカイブ化されていること、また「太陽のレクイエム」と同年に開催された菅の個展のカタログが、「monoha」の一作家としておさめられたことの意義は、少なからず大きいだろう。

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