― 449 ―ように語られ、物質への認識を宙吊りにし、意味や固有の概念を放棄することを意味する関根の発言「ほこりをはらう」(注7)や、その意味性が剥奪された物質に対して、当時の作家が感じた「シビれたりゾクッとする」(注8)という物質感について、それぞれ「dust off」(注9)、「sense of thrill」(注10)という訳が当てられている。その他にも李や菅、高山や榎倉の論考がそれぞれ収録されており、GRIの検索システム上でも作家名が記録されることで、特にアメリカを中心としたもの派に関する展覧会や書籍については、それら情報が今後相互に結びつき合い、より横断的な広がりの中でアーカイブが構築されていくことが予想される。近年のアメリカでのもの派の受容近年のアメリカを中心とし、日本の戦後美術の動向を考察することを目的とした展覧会に、2012年から13年にかけてニューヨーク近代美術館(MOMA)で開催された「東京 1955−1970 新しい前衛 Tokyo 1955−1970: A New Avant-Garde」展があげられる。国際交流基金とMOMAの共催で行われた本展は、アメリカでインディペンデント・キュレーターであったアレキサンドラ・モンローが企画・構成し、横浜美術館で1994年に開催した「戦後日本の前衛美術 Japanese Art after 1945: Scream against the Sky」展が94−95年にグッゲンハイム美術館、サンフランシスコ近代美術館を巡回した後、実に17年の歳月を経て開催された日本の戦後美術を紹介する展覧会であった。日本とMOMA所蔵の美術作品から約300点が展示され、第二次世界大戦後の暗鬱とした具象表現から、具体、実験工房、そして高度経済成長へと進む中で起きた反芸術運動、またメタボリズムを中心とした建築、ポップアートに影響を受けた絵画、もの派、プロヴォークやグラフィック・デザインなど、多様な動向が紹介された。特に展覧会の特徴に、左右対称で均質な空間による展示構成があげられ、それぞれの動向の影響関係を示唆しながらも、戦後の混沌とした前衛美術を今一度整理しようとする配慮がなされていた。「東京 1955−1970」は、展覧会カタログでは展覧会を担当したMOMAアソシエイト・キュレーターのドリュン・チュン他、林道郎、吉竹美香、光田由里らが寄稿している。また、展覧会と並行してMOMAより、非欧米地域における美術動向のアンソロジー「Primary Documents」シリーズとして、『From Postwar to Postmodern, Art in Japan 1945−1989』が刊行された。もの派については、3章「1964−1970: After the avant-garde, an expanding field」の中で、1970年に発表された李「出会いを求めて」、菅「状態を超えて在る」の抜粋が英訳で収録されている(注11)。アンソロジーでもまた、
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