鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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― 36 ―関廊や前庭を備えている(注23)。発見された洞窟はおそらく少なくとも第二神殿時代のユダヤ人の墓であり(注24)、玄関廊部分を備えていたと考えられる。よって、柵に囲まれた玄関廊があったこと、稜線を集めた円錐型の屋根の形、柱に囲まれていたこと、柱は別材であったこと、墓室に入って右側に同じように石に掘られて作られた台があったこと、これらの共通項から、ナルボンヌの神殿模型は明らかにイェルサレムの聖墳墓を表していると見なして問題ないであろう。巡礼者が目にする聖墳墓の姿をまず視覚的に再現しようとした意図は明白と思われ、基壇に並ぶ小さな穴には、聖墳墓を飾っていたような数多の装飾品が吊るされたに違いない。ただし『メモリア』の高い基壇は聖墳墓には存在しなかったと思われ、展示の都合により考案されたのではないか。その他、柱の数(注25)など、いくつかの相違点が指摘し得る。墓室の寝台について、アルクリフは「全く単純な寝台である」と述べており、つまり単純な長方形に近い形であったと思われ、また、「張り出したアーチ型の天井」(アルコソリウム)に覆われていると述べているが、ナルボンヌの『メモリア』の寝台はかなり不定形な四辺形であり、アルコソリウムも存在しない。興味深いのは、『メモリア』の墓室の内壁の一定の部分が磨かれておらずごつごつしたままに残されていることである。アルクルフは、イェルサレムの墓室の内壁は、「何の装飾にも覆われておらず、今日まで掘られた全ての表面には石工や穴あけ工が働いた鉄の工具の痕が残されている」と述べている(注26)。聖墳墓がいかに飾られ美しい姿であったとしても、最も神聖であるのは墓の洞窟の内壁、そのままに残された内壁であり、そのごつごつした姿の神聖さを模すために、彫刻家がわざわざ磨かずにそのまま残した、と考えることは可能であろう。ナルボンヌの『メモリア』の墓室の奥の壁を取り払い作られた開口部は、イェルサレムの聖墳墓には存在していない。奥室の内部を彫るとき、正面の入口だけでは充分でなく、技術上の問題でまず広い開口部が必要であっただろう。さらに、文書資料が繰り返し伝えている寝台の上で昼夜燃えているランプを、ここで再現するために使われたのではないかと推測される。この開口部からランプを入れ、取り出し、また元にもどし、油を絶やすことなく補給し、そしてその油はエウロギア(副次的聖遺物)となり、信者たちに渡されたのではないか。実際、『聖墳墓の中で燃やされ続けているランプの油』はイェルサレムの聖墳墓教会から巡礼者がヨーロッパに持ち帰る主要なエウロギアのひとつであった(注27)。開口部の敷居の中央の切り込みは、こうしてランプを出し入れしている時にこぼれてしまう油を回収するために必要であったのだろう。神聖な油は一滴も残さず回収しようとしたはずである。

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