2.中村研一の昭和期官展出品作研 究 者:福岡県立美術館 学芸員 高 山 百 合1.はじめに中村研一(明治28年〜昭和42年)は、昭和期の官展アカデミズムを牽引した洋画家である。正確なデッサンによる写実に基づき、端正で力強い筆致で大画面を破綻なく構成する能力に秀でた彼は、昭和期の官展において並々ならぬ影響力を有していた。しかしながら現在彼の名を最も広く知らしめているのは、《コタ・バル》(昭和17年、第1回大東亜美術展、東京国立近代美術館無期限貸与)〔図1〕をはじめとする一連の「戦争画」である。その一方で、昭和5年に帝国美術院賞を受賞した《弟妹集ふ》〔図2〕をはじめとして、継続的に昭和期の官展に出品した一連の作品は、人物の躯体や表情、視線によって、ドラマティックな画面を展開する大画面群像であるという点において、その直後に開始された戦争画制作とも切り離し得ない関係があると考えられるにもかかわらず、これまでその重要性が顧みられることはほとんどなかった。そこで本稿では、中村研一が昭和5年以降継続的に官展に出品した、人物群像による一連の大画面作品のうち、その帰結点と位置づけられる《瀬戸内海》(昭和10年、第二部会展、京都市美術館蔵)〔図3〕に着目し、それに先んじる作品との連続性を確認しながら、彼が如何なる造形的意図のもとで本作を制作したかについて考察し、本作の昭和洋画史における意義について検討したい。先述のとおり本稿で特に着目するのは《瀬戸内海》であるが、まずは昭和5年から昭和10年に至るまで継続的に官展に出品された一連の作品について確認したい。中村が官展において不朽の地位を獲得したのは、昭和5年の第11回帝展において帝国美術院賞を受賞した《弟妹集ふ》〔図2〕を契機とする。黒いドレスの上に着物をはおって足を組み、のびのびとポーズをとる姿で前景に描かれた女性は、本作制作の前年に中村と結婚し、以後度々彼の絵画に登場する妻の富子である。また、後景には蓄音機から流れる音楽に合わせて優雅にダンスをする彼の弟、妹や義妹たちが描かれている。さらにはチェロや室内犬、パイナップルなどの高級な食材などのモチーフが配された本作は、当時においても「現代生活の尖端を捕えたもの」(注1)と評された。また東京府美術館の開館以来、公募展の出品作品の大画面化が顕著に進んでいた当― 452 ―㊶ 昭和期官展洋画の研究 ─中村研一を中心に─
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