鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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― 454 ―白いハイヒールを身につけた着衣の女性2人と、やや不自然なポーズでこちらに背面を向けた裸婦の、合計3人の女性が描かれている。着衣の女性と裸婦という組み合わせや、画面左下には麦わら帽子が描かれていること、また舞台が海辺であることから考えても、本作にはその前年に制作した《海辺にて》〔図6〕との連続性が強く意識されていると言える。《海辺にて》には、メカニカルな構造を持つオートバイがひときわ印象的に描かれているが、この作品においてオートバイに代わって金属的、機械的モチーフとして選択されているのは、女性たちが腰掛けるスチールパイプ製のカンチレバー(片持ち樑)構造の椅子であろう。スチールという新しい素材からなり、あたかも宙に浮かんでいるかのような軽やかな印象を与える美しいカーブを描くこれらの椅子は、当時においても流行の最先端であった。というのもミース・ファン・デル・ローエによる《MR10》(1927年)を皮切りに、新しい時代を象徴するヨーロッパのモダンデザインとして世界的に流行したカンチレバー椅子は、昭和戦前期の日本にも時を待たずして移入されていた(注8)。《瀬戸内海》においては、様々なモチーフを細部にわたって精緻に描きこむ《弟妹集ふ》〔図2〕や《車を停む》〔図5〕とはやや雰囲気を異にするシンプルな画面が展開されているものの、スチールの固く冷たい素材感と、そこに座る女性の浅黒く健康的な肌の質感との対比や、複雑に交錯する椅子の骨組みなどの表現技術は彼の面目躍如である。また、《弟妹集ふ》や《画室にて》〔図4〕と同様、高い場所から見下ろす俯瞰的構図が採用されているということも注目すべきである。次に、《瀬戸内海》に描かれている人物について検討したい。既に述べたとおり、中村は《弟妹集ふ》以降、妻の富子をある種の特権的な存在として、自作に度々登場させている。《瀬戸内海》においても、黄色いワンピースに身を包み、頬杖をついてこちらへ向かって物憂げな眼差しを投げかける中央の女性が、その容姿の類似から富子であると判断できる。そしてその両脇に、背中を向けた裸婦と、大胆に顔を切り取られて表現された着衣の婦人が配されている。ところで中村は、富子を描く際に、顔貌を似せることにとどまらず、それが彼女であることを明示するいくつかの記号的表現をとっている。ひとつには、しばしば足を組んだ姿で表現すること、さらには赤い口紅に赤いマニキュアという化粧を施すことである。そのような点を鑑みれば、画面左側に描かれている顔が半分切り取られている女性は、足を組み、赤い口紅とマニキュアが施されているだけではなく、身につけている縦縞のワンピースも、《海辺にて》〔図6〕において富子が身につけているものと同一であるとわかる。中村は絵画制作において、先んじる自作から人物の姿態を転用することがしばしばある。したがって、

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