― 459 ―⒀林達郎「帝展洋画評」『美之國』第9巻第11号、昭和8年11月。⒁中川紀元・児島善三郎・荒城季夫・宮田重雄「第二部会展を中心とする座談」『美術』第10巻⒂「光画」については、飯沢耕太郎『写真に帰れ─「光画」の時代』平凡社、1988年を参照。⒃堀野正雄の『カメラ・眼×鉄・構成』については、鬼頭早季子「板垣鷹穂と堀野正雄の共同実験」『板垣鷹穂 クラシックとモダン』森話社、2010年、104−129頁を参照。⒄中村研一「愛妹への友情から(美術家の写真〔第1回〕)」『美術月報』第3巻第12号、大正11年9月20日。また中村は、コンタフレックスやオリンパスシックスなどのカメラを所有していた。(前者については、中村研一「晩年の先生」大隅為三・辻永編、『画人岡田三郎助』春鳥会、昭和17年、250頁を参照。また後者については、彼の遺品が福岡県宗像市の中村研一・琢二生家美術館に所蔵されている。)⒅前掲注⑶。⒆実際、先行研究において《瀬戸内海》〔図3〕には、マネの《草上の昼食》から主題やモチーフの引用が行われていると指摘されている。阿部良雄「引用から創造へ『草上の昼食』をめぐって十選⑼中村研一「瀬戸内海」『日本経済新聞』1996年2月2日。凡例:引用文中の旧漢字は、原則として新漢字に改めた。⒇津田青楓「現代風俗画批判─中村、大久保氏の作品」『読売新聞』昭和7年10月27日、朝刊。■ 前掲注⑷。第11号、昭和10年11月。
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