鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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― 466 ―ないが、『使徒言行録』の記述(1:11)は終末に昇天と同じ姿でキリストが再来すること、つまり「再臨」を暗示する(注8)。初期キリスト教美術以来、「昇天」図像はおもに2つの型に分類され、それぞれ「昇天」の異なる側面を表している。第1の型は東方やその影響下の美術に認められる。正面観のキリストはマンドルラに包まれ、それを2人もしくは4人の天使が支え、勝利に輝く荘厳なキリストを示す。マンドルラの下方では、使徒たちがキリストを見上げ、聖書には記述のない聖母も頻繁に表される。第2の型は、西欧を中心に普及した。横向きのキリストは自らの力で天へ昇り、天から「神の手」がおり、キリストの右手をとって引き上げる表現もみられる。いずれの型でも、使徒たちの数は一定ではないが、後者の型では聖母が描かれない(注9)。サン・ピエトロ聖堂アプシス・コンカの主題は、画中の天使が使徒言行録の「昇天」の章句を示すこと、天使に囲まれたキリスト、その下方で動揺する12使徒の状態から、第1の型「昇天」のヴァリエーションと解釈されてきた。ヴァルトフォーゲルは、「昇天」が11世紀後半から13世紀にかけて、南イタリアのモンテカッシーノ修道院周辺で急増する点に注目し、11世紀後半の教会改革いわゆるグレゴリウス改革の影響を想定し、「昇天」という史伝が理想的な教会の起源を想起させる図像として好まれたと言及した〔図9〕(注10)。しかし、モンテカッシーノ修道院周辺の作例群は、明らかに第1の型、つまり東方やイタリアに広がった「昇天」を踏襲し、ローマ北東のファルファ修道院鐘楼北壁面は第2の型の「昇天」を表すものであり、「昇天」に由来のないモティーフを配するサン・ピエトロ聖堂アプシスと同等にとらえることはできない。タリアフェッリは、トゥスカーニアにおいて、キリストの球体や大勢の天使というモティーフに注目し、それらのモティーフと「昇天」が10〜11世紀のオットー朝写本挿絵とローマ周辺における伝統的アプシス図像の混成によると結論づけた(注11)。『ハインリヒ2世の典礼用福音書抄本』の挿絵のように、マンドルラを伴わない「昇天」の作例は示唆的だが、球体を持ち上げる仕草のキリストは見つかっていない(注12)。トゥスカーニアで飛翔する天使たちはキリストの身体に触れておらず、第1の型における天使のように「昇天」という行為を援助していない。キリストの足元にある銘文「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」は、キリスト降誕の際に天の大軍と天使が神を讃美する章句であり、トゥスカーニアの章句も同様の役割を担っていたと理解できる。ローマのサン・クレメンテ聖堂アプシス・モザイクにおいても、同じ章句から作成された典礼文“Gloria in excelsis Deo

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