鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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1.明宮廷の仙人画像研 究 者:大阪市立美術館 学芸員 森 橋 なつみ顔輝派とは、海老根聰郎氏によって分類された道釈人物画家の一群を指しており(注1)、南宋末元初の顔輝が描いたとされる作品と人物描写の特色を共有するものに対して用いられる呼称である。文献等によって裏付けられる関係はなく、あくまで造形上の類似によって整理された範疇である。ここでは海老根氏があげられた顔輝流派の作品群のうち、明代宮廷画家の作として伝承される作品に注目して考察をすすめる(注2)。明代顔輝派を特徴づける作品には、波濤上に立つ仙人図の一群があり、特に宮廷画家の商喜や劉俊、趙麒の名とともに多くの遺品が伝えられている。本報告では画かれた仙人の多くを祖師として掲げていた全真教との関わりから明代顔輝派の作品を捉えなおし、その成立と展開について見解を示したい。明代顔輝派と呼ばれる仙人図は、永楽帝による遷都後に出仕した画家の作例に散見されるようになる。宣徳年間(1426−1435)に出仕した商喜の作として伝わる「四仙拱寿図」(台北・故宮博物院蔵)〔図1〕や成化年間(1465−1487)に活躍した劉俊の「陳南浮浪図」(京都・相国寺蔵)〔図2〕などがそれである。商喜の作は、横長の画面に寒山、拾得、蝦蟆、鉄拐の四人の仙人が渦巻く波上にそれぞれの持物を浮かべて立ち、上空に飛来する寿星を仰ぎ見て慶賀する場面を描く。ここに描かれた四仙の姿は、すでに指摘があるように顔輝筆「蝦蟆鉄拐図」(京都・知恩寺蔵)や「寒山拾得図」(東京国立博物館蔵)に近似している。また、仙人と禅の散聖である寒山拾得が組み合わせられていることの外に、拱寿図という道教的主題のなかで墨染の僧衣を纏った四仙という道仏習合的な特色をもつ作品である。一方、劉俊の作は大きな笠を背負い、芭蕉扇を手にした道士風の仙人が描かれている。「陳南浮浪図」の名称は箱書によるもので、おそらくは宋代内丹派の道士で全真教南宗の五祖の一人である陳楠を指すであろうとされている(注3)。「陳南浮浪図」のような単身の仙人図は、商喜画のような説話性を感じさせるものではなく、複数幅を掛け並べることが前提とされていたと思われる(注4)。波の上に立つ仙人図は、図像的類似から山西省永楽宮に残された元代壁画の「八仙過海図」との関係性がしばしば問われてきた〔図3〕。永楽宮は、唐の道士呂洞賓の― 473 ―序㊸ 明代顔輝派の形成と展開

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