研 究 者:日本女子大学大学院 人間社会研究科 博士課程後期一、はじめに伊藤若冲(1716−1800)は、「髑髏図」を数点制作している。それらは、若冲の画業の初期から晩年期に至るまでの幅広い時期にわたり、着色画、版画、水墨画といった様々な形状で制作され、注目すべき作例として挙げることができる。しかしながら、とくに臨江寺所蔵の「髑髏図」〔図1〕(以下、臨江寺本)については、『伊藤若冲大全』において、近年見出された作品として紹介されながらも、これまでの若冲研究では注目されることなく、また保存上の理由によって展覧会等で公開されることがなかった経緯もあり、詳しく論じられていない(注1)。本稿では、臨江寺本を中心とした作品分析を行う。また、類似の作例として拓版画の「髑髏図」が数点現存しており、それらとの比較検討も行い、臨江寺本及び「髑髏図」の特質について考察していく。さらには、臨江寺本を誰が、どのように、鑑賞していたか、現時点で考えられる可能性を提示することを試みたい。二、臨江寺蔵「髑髏図」の概要東京谷中の臨江寺が所蔵する「髑髏図」(臨江寺本)は、上部に賛を伴い、下部には髑髏二体のみが描かれた、紙本着色画である(注2)。しかも、表装は、本紙と一文字部分の周りを浅葱色の紙で縁取っただけの装飾であり、裂地などで彩られることなく最小限に抑えられ、本図のみならず作品全体が非常に簡素な印象である。落款は、「居士若冲住寒林寫之」(注3)と書され、「汝鈞」(白文方印)、「藤氏景和」(朱文方印)の二顆印が捺される〔図2〕。これらの印章は、初期作品の「虎図」(プライスコレクション)や「旭日鳳凰図」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)、「動植綵絵」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)、鹿苑寺大書院障壁画などにも捺され、年記が分かるものでは、宝暦5年(1755)から宝暦11年(1761)にかけて制作された作品に捺される。また、明和2年(1765)に「動植綵絵」二十四幅と共に寄進された、「釈迦三尊像」三幅(相国寺承天閣美術館蔵)も臨江寺本と同一印が捺される。つまり、臨江寺本は、若冲の画業前半期─宝暦から明和初期─にかけて使用された印章が捺されているのであり、同時期に制作されたことが推定できる。さらに、宝暦10年(1760)の年記がある「花― 481 ―森 下 佳 菜㊹ 十八世紀京都における禅宗寺院復興運動と芸術活動に関する研究 ─伊藤若冲筆「髑髏図」(臨江寺蔵)を中心に─
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