― 483 ―体は、賛がある上部ほど薄く、髑髏が描かれる下部ほど墨が濃くなり、グラデーションが施される。さらに、髑髏二体は、やや左を向いた状態で、奥行きが感じられるように並べられている。このように、臨江寺本は一見落ち着いた質素な様相であるが、細部にまで意識が行き届き、立体感、奥行きを表そうと描かれている。そのような描写態度は、「動植綵絵」をはじめとする着色画に見出せる若冲の特徴と共通し、本図でもうかがうことができる。しかしながら、全体的にかなり傷んでおり、虫食いや剥落しそうな部分も認められる。そのため門外不出の状態にあることは、誠に残念である。三、若冲の「髑髏図」つぎに、臨江寺本以外の若冲が制作した「髑髏図」についてみていく。「髑髏図」は、臨江寺本の他に、五点現存する。そのうち、三点が拓版画(宝蔵寺・西圓寺・個人蔵)、二点が水墨画(西福寺・無量寺)である(注7)。本稿では、とくに臨江寺本と図様が類似し、制作時期が近いとされる拓版画の「髑髏図」三点に注目し、検討・考察していく〔図5〕。拓版画の「髑髏図」を比較検討することによって、臨江寺本の特質および若冲の画業前半期における「髑髏図」の特質を見出したい。この拓版画の「髑髏図」三点は、いずれも紙本拓版、同じ図様、賛文で構成されている。拓版とは、拓本をとるように、陰刻された版木に濡らした紙を貼り、陰刻部分に紙を押し込み、その上から墨をつけていく技法のことである。正面摺りと同義であり、中国の法帖や画譜などにもみることができ、濃い墨色と陰刻部分の紙の白さのコントラストが特徴的である。図様は、臨江寺本と同じく、髑髏二体が配される。この場合も、髑髏は同一ではなく、歯の数、空洞部分の形、前頭部の丸みの帯び方などを違えた二体が並べられている。さらに、臨江寺本の左側の髑髏と、拓版画の右側の髑髏は、傾く角度は違うものの、同じ特徴がみられ、同一の髑髏であることが分かる〔図6〕。若冲は、このような同じモチーフを繰り返し用いる傾向にあることが既に指摘されるように、本モチーフにおいてもその特徴をうかがうことができる(注8)。しかしながら、髑髏の配置は、臨江寺本のように二体とも同じ左向きに奥行きがあるように並べるのではなく、拓版画の「髑髏図」は、紙の幅に納まるよう、右側の髑髏が左を向くのに対し、左側の髑髏は正面を向く。制作年は、煎茶中興の祖で元黄檗僧であった、賛者の売茶翁(1675−1763)が署名に「高遊外八十六翁」と記すことから、宝暦10年(1760)の作と考えられている。臨江寺本と同時期である。しかもこの年は、若冲の画業にとって記念すべき年であり、
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