鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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― 485 ―たと考えられるのである。ここまで臨江寺本と拓版画「髑髏図」を比較検討してきたが、これらの共通点および相違点を整理しよう。まず共通点は、髑髏二体が描かれていること、臨江寺本・左側髑髏と拓版画・右側髑髏が同一のものとみられること、禅僧によって禅的思想に関する内容の賛が付されることが挙げられる。相違点は、着色画と拓版画であること、モチーフの配し方が異なることである。着色画である臨江寺本は、髑髏の質感や立体感を丁寧に描き、絶妙な空間の中に髑髏を配置する。一方の拓版画は、漆黒の背景に白い髑髏が浮かび上がるものの、白黒の版画のため、臨江寺本の表現には及ばない。配置は上部にはいくらか余白があるのに対し、下部は細い紙幅に髑髏二体を無理に押し込めたように、窮屈な配置である。しかしながら、拓版画の「髑髏図」は、数点現存することや、それぞれ刷られた時期が異なることを考え合わせると、需要が高く何度も刷られたことが推察できる。当時の芸術文化を盛り上げ、その中心にいた売茶翁の賛を伴うことによって、人気を博したことがうかがえる。このように、若冲の画業前半期における「髑髏図」(臨江寺本と拓版画「髑髏図」)は、禅的思想を視覚化した絵画であり、賛と画が連動している。その上、賛者は禅僧である。また、髑髏を一体ではなく、特徴を違えて二体描いていることも、現時点では見出せないものの、何か意味があると思われる。さらに臨江寺本については、髑髏の質感や立体感を出そうと写実的に表現していること、歴代禅師の語録や典籍の引用ではない新しい解釈の賛を示していることが挙げられる。つぎに、その臨江寺本の特徴を踏まえた上で、受容者について考えていきたい。四、想定される受容者─桂洲道倫の交友関係に注目して─臨江寺本は、先述したように、画面上部に禅的思想の内容の賛を伴った教導的な絵画である。本図が、誰に、どのような場で鑑賞されたのか、現段階で考えられる可能性を探りたい。本図の特徴は、写実的に描かれた髑髏図と、新しい解釈が記された賛で構成されている、という点である。本稿では、後者の特徴に着目し、賛者の桂洲道倫と交流したとみられる人物三名を参考に、考察したい。『続禅林僧宝伝』によれば、桂洲道倫は、江村北海(1713−88)と雅交し、詩の応酬の様子は『北海詩鈔』にあるという(注14)。江村北海は、『日本詩史』(明和8年[1771]刊)や『日本詩選』(安永3年[1774]刊)の編纂をするなど、上方への漢詩の普及に尽力した人物である。北海の著作の一つ『北海先生詩鈔』(明和4年[1767]刊)には、桂洲道倫との交流を知ることができ、しかも興味深いことに、その中に禅

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