鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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― 487 ―僧の賛を伴った典型的な禅宗絵画だが、禅的思想における新しい解釈が盛り込まれた絵画として、江村北海のような文化人の「参禅の徒」たちがいる場で鑑賞されたのではないかと考える。時に禅僧が解釈を講じ、絵解きのような役割を果たしたことも推察できよう。このような形で鑑賞されることや、禅宗に深く帰依した文化人の需要を背景として、臨江寺本は、当時頭角を現し始めた、新進気鋭の禅僧(桂洲道倫)と絵師(若冲)によって制作された、新しい禅宗絵画の一つだったのではないかと考える。五、おわりに以上、臨江寺本の作品分析と、拓版画「髑髏図」との比較検討を行い、臨江寺本と前半期の「髑髏図」における特質を見出した。そして、賛者・桂洲道倫の交友関係に注目し、想定される受容者や臨江寺本が制作された意味について、現時点での見解を示した。臨江寺本については、今回、画面の細部に至るまで詳細に熟覧できたことが何よりも大きかった。本図が若冲の画業前半期に相当する比較的早い時期であることを確認し、賛についても、後から賛を付したものではなく、画と賛との相互性が高いことから、絵師と禅僧(画と賛)の共同制作を前提として臨江寺本が制作されたことがうかがえた。また、『伊藤若冲大全』において、臨江寺本の形状を「絹本著色」と表記されているが、実際には「紙本著色」であることが本調査によって確認された。以上のように、臨江寺本を熟覧できたことによって、図版のみでは知り得なかったことが明らかとなり、本研究を行う重要な基盤となった。しかしながら、一方で課題も多く残る。たとえば、前半期の「髑髏図」において、髑髏が一体ではなく、二体描かれる理由はまだ見出せておらず、晩年期の「髑髏図」との比較検討も含めて、描かれた意味を考えなければならない。また、臨江寺本の特質である、髑髏が写実的に描かれる背景についても、本稿では触れることができなかった。同時代には、円山応挙の「波上白骨座禅図」(大乗寺蔵)をはじめ、それ以前の時代にはなかった「髑髏(骸骨)図」の多様化がみられる。しかも、長澤芦雪の「幽霊・仔犬に髑髏図・白蔵主図」(藤田美術館蔵)の髑髏は、若冲の臨江寺本のそれと非常に酷似しており、とても興味深い。今後の課題として、当時の文化的・宗教的背景を鑑みながら、さらなる考察を深め、稿を改めることにしたい。

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