鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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注⑴京都国立博物館編『伊藤若冲大全』小学館、2002年、51頁⑵『伊藤若冲大全』(注⑴)には「絹本」とあるが、実際は「紙本」である。⑶『伊藤若冲大全』(注⑴)では、「居士若冲住寒林寫之」の「住」を「注」とする。しかし、筆〜503頁― 488 ―付記:今回の調査研究に際して、臨江寺所蔵「髑髏図」拝観の機会を賜りました臨江寺ご住職細見秀峰氏、ご教示賜りました学習院大学教授島尾新先生、ご指導下さいました日本女子大学准教授水野僚子先生には心から感謝と御礼を申し上げます。なお、図版は拓版画「髑髏図」のみ、注⑴、注⑼から転載しました。1983年、43〜46頁 台東区教育委員会文化事業体育課『御府内寺社備考四』2003年、88頁2011年7月、3〜23頁者は全体的な意味も加味し、「住」と考える。⑷前掲書注⑴、95頁⑸台東区教育委員会社会教育課『台東区の文化財調査報告書第一集 谷中寺院の所蔵文化財』⑹参考までに、若冲画に着賛した大徳寺僧を挙げておく。・独庵宗譲(大徳寺清源庵6世、「芦葉達磨図」着賛、千葉市美術館・静岡県立美術館『伊藤若冲アナザーワールド』展図録、2010年、作品番号65)・大徹宗斗(大徳寺430世、「白澤図」着賛、MIHO MUSEUM『若冲ワンダーランド』展図録、2009年、作品番号70)⑺水墨画二点のうち、一点は「野晒図」(西福寺)で署名により、寛政4年(1792)の作と分かる。もう一点は、「髑髏図」(無量寺)は署名はないが、制作時期の基準とされる「若冲居士」印に欠損が生じていることから、晩年作と考えられる。図様はいずれも、髑髏一体が描かれる。⑻末武さとみ「伊藤若冲「菜蟲譜」について─「多識」の歓び、繰り返される蟲」『國華』1389号、⑼和泉市久保惣記念美術館『単彩画 ひとつの色の多彩な世界』展図録、2013年、133頁⑽『国訳大慧普覚禅師宗門武庫上』(国訳禅宗叢書刊行会編『国訳禅宗叢書』第6巻、国訳禅宗叢書刊行会、1919−1921年、61頁)⑾『国訳佛果圜悟禅師碧巌録巻第一』(国訳禅宗叢書刊行会編『国訳禅宗叢書』第7巻、国訳禅宗叢書刊行会、1919−1921年、12頁)⑿島尾新先生のご教示による。⒀荻野独園、小畠文鼎原著 能仁晃道訓注『訓読近世禅林僧宝伝』禅文化研究所、2002年、500⒁注⒀、502頁⒂富士川英郎他編『詩集日本漢詩』第五巻、汲古書院、1985年、328頁⒃注⒂、344頁⒄注⒀、501頁⒅千葉市美術館・静岡県立美術館『伊藤若冲アナザーワールド』展図録、2010年、272頁⒆桜井景雄『禅宗文化史の研究』思文閣出版、1986年

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