鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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研 究 者:東京藝術大学 非常勤講師  髙 木 真喜子はじめにしかし15世紀半ばになると、フランスとりわけパリは芸術の中心とは言い難い状況になる。ネーデルラントにおいてファン・エイク兄弟が、フィレンツェにおいてマザッチョらが登場し、ヨーロッパの南北において本格的に初期ルネサンスの時代が到来する中、パリの芸術活動は後進の立場に甘んじることになるのである。とりわけ1415年のアザンクールの戦いで大敗し社会情勢が混乱する中、パリに集まっていた芸術家たちが故郷に帰国したりロワール河流域に逃れたりしたため、ルネサンス期のフランス美術の展開の場はトゥールやアンジェなど地方の宮廷に移ることになった(注2)。中世末期のアンジュー宮廷と〈ジアックの画家〉そうした流れの中にあって、およそ1420〜20年代という時期は、国際ゴシック様式のフランス写本芸術の最盛期と、イタリアとネーデルラント双方の影響下でフランス・ルネサンスが展開し始める時期との狭間となり、発展史的な視点で見るなら一時的な停滞期の様相を呈していたと言える。アンジュー公の宮廷が置かれたアンジェにおいてその時期は、ナポリ王を兼ねたルネ・ダンジューのもとでバルテルミー・デックらが活躍する世紀後半の直前にあたり、同公の母であるアンジュー公ルイ2世の妃ヨランド・ダラゴンが招いた、〈ジアックの画家〉と〈ロアンの画家〉が制作した数々の時禱書が、同時代の潮流とは異な― 492 ―14世紀末から15世紀へと転換する数十年の間、西欧では国際ゴシック様式と呼ばれる優雅に洗練された美術様式が開花していた。フランスにおいては国王シャルル5世とその王弟たち、ブルゴーニュ公フィリップ、アンジュー公ルイ、ベリー公ジャンといった、芸術を愛し保護したパトロンたちのもとに発展し、とりわけ愛書家として知られるベリー公が制作させた数々の豪華な挿絵入り装飾写本は、当時の絵画芸術の発展史の先端を示している。ジャックマール・ド・エダン、ランブール兄弟、〈ブシコーの画家〉といった才能溢れるフランコ・フラマン派の画家たちの活躍により、14世紀のイタリア美術において確立された現実世界への接近の態度がシエナやアヴィニョンを拠点としてフランスに継承され、三次元的な空間表現と自然主義的な風景表現において、後に初期ネーデルラント絵画の源泉となる美しい伝統が築かれたのである(注1)。㊺ 中世末期のアンジュー宮廷の写本芸術

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