鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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― 493 ―る独特の様相の作品群をなしている。1405〜10年頃、フランス東部トロワの貴族であるジアック公妃ジャンヌのために制作した時禱書に因んだ〈ジアックの画家〉という呼称は、近年イネス・ヴィルラ=プティが初めて用いたものであり、先行研究においてこの画家は、より優れた逸名画家である〈ロアンの画家〉の工房の画家として扱われてきた(注3)。《ジアックの時禱書》は、しばしば中世末期の表現主義と称される特異な傑作《ロアンの大時禱書》(注4)の主要画家である〈ロアンの画家〉と様式的に関連付けられる最も編年の早い作例であるため、共同制作を行った工房の画家と見做されていたのである。〈ロアン工房の画家〉改め〈ジアックの画家〉の工房はトロワに始まり、パリや南フランスのアヴィニョンなどでも制作活動を行い、最終的に1425〜35年頃、アンジュー公妃ヨランドのもとでアンジェの宮廷の人物のための時禱書の数々を制作したと考えられているが、作品群に見られる挿絵画家の手の分類については研究者間で見解が異なっている。先行研究においては、〈ジアックの画家〉の手を〈ロアンの画家〉の初期様式と見做す研究者もいたが、現在では、〈ロアンの画家〉は当初から工房にいた画家ではなく、途中からあるいは一時的に共同制作を行った、様式的傾向を共有する画家であるとする見解が主流となりつつある(注5)。いずれにせよ、まさに中世の終焉の時期にアンジェの宮廷を活動の場とした〈ジアックの画家〉と〈ロアンの画家〉は、ヨランドの注文により《ロアンの大時禱書》を制作し、次いで、その息子ルネのための《ルネ・ダンジューの時禱書》(注6)、娘ヨランドのための《イザベラ・ステュアートの時禱書》(注7)、さらにアンジュー宮廷と関わりのある貴族のためのリヨン市立図書館所蔵の《時禱書》(注8)、《アントワーヌ・ドュ・ビュズの時禱書》(注9)を次々と手掛けたのである。アンジュー宮廷における画家たちのイメージ・ソース1340〜50年頃にナポリで制作された《ナポリ王ロベルトの道徳聖書》(本論では以下《道徳聖書》と表記)が《ロアンの大時禱書》の直接の手本とされたことは、研究史の早い段階で指摘されていた(注10)。ナポリ王ロベルト1世(1277−1343年)のために制作されたこの写本は、ナポリ王を兼ねたアンジュー家に伝えられていたのである。《道徳聖書》には、聖書の物語場面とその注解場面が組合せられた道徳聖書の小挿絵サイクルと、新約聖書を主題とする76の全頁大挿絵が描かれている。それらのうち《ロアンの大時禱書》に写されているのは、道徳聖書の小挿絵サイクルと「キリストの磔刑」(fol. 178v)の全頁大挿絵である(注11)。

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