(fol. 63)の背を向けた姿勢でロバに乗る聖母子の特徴的な描写が、《アントワーヌ・ドュ・ビュズの時禱書》の同図像(fol. 67)、および《ロアンの大時禱書》の聖母子を単独で表した挿絵(fol. 227)に見られ、《時禱書》(リヨン5140番)の「福音書記者マタイ」(fol. 18)には、レイモン・ディオクレの講義の様子を表した《美しき時禱書》の挿絵(fol. 94)の人物モティーフが転用されている(注17)。― 495 ―《ロアンの時禱書》の「三位一体」ランブール作品からのこうしたモティーフの転用は、《美しき時禱書》に限られておらず、《いとも豪華なる時禱書》(注18)のカレンダー挿絵「7月」(fol. 7v)において羊の毛刈りをしている農婦のモティーフが、《ロアンの大時禱書》の「羊飼いへのお告げ」(fol. 85v)の中に乳搾りをする農婦として登場しており、同様に前者の「マギの出会い」(fol. 51v)の騎乗するマギの一人は、後者の「エジプトへの逃避」(fol. 99)においてエジプトへ逃れる聖家族一行を追うヘロデ王の臣下に転用されている(注19)。ヴィルラ=プティは《美しき時禱書》だけでなく、ランブール兄弟による未完成の他の写本《道徳聖書》と《いとも豪華なる時禱書》もヨランドの手許にあり、彼女は画家たちにそれらを含む“書庫”への出入りを許していたという状況を示唆している(注20)。また、これら直接の手本に加えて、先行研究においては〈ブシコーの画家〉を始めとするパリの写本芸術からの影響も考察されてきた(注21)。すなわち、字義通り中世の終焉の時期のアンジュー宮廷において、〈ジアックの画家〉と〈ロアンの画家〉は、先進的なランブール兄弟の作品、フランス写本芸術の発展の源泉でもある14世紀のイタリアの作例、工房の伝統、パリの写本芸術といった、いわば国際ゴシック様式の精華のすべてをイメージ・ソースとして工房のレパートリーを形成し得たのである。そうした中、《ロアンの大時禱書》の「三位一体」(fol. 210)〔図5〕は、上記のイメージ・ソースの中に類例のない特殊な図像表現を見せている。胸像の父なる神が幼子の姿のキリストを手で支え、幼子は神と聖霊の鳩に手を伸ばしており、それらをケルビムが取り囲むというものである。同時代の「三位一体」図像としては、父なる神が正面観で座して磔刑のキリストを支え持ち、両者の頭部の間に聖霊の鳩が配される「恩寵の御座」タイプが多く、あるいは、父なる神と子なるキリストが並んで座し、両者の間に聖霊の鳩が飛ぶといういわゆる詩篇タイプの図像もよく見られる(注22)。そうした中で《ロアンの時禱書》
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