鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
516/620

― 506 ―て縦の配置へと統一され、画面の左右や中ほどに細く、時には帯の色幅をいくつか変えて、描かれるようになる。また、スティルの作品では、色帯は画面全体に及んでいる。両者の作品は、視点が1点に集中することなく、画面全体に視線が走るオールオーヴァーな構図である。作品のフォーマットについては、ニューマンの場合、《崇高にして英雄なる人》《誰が赤、黄、青を恐れるのか》のように代表作とされる作品の多くは横長のカンヴァス作品であるが、1948年以降、縦長の作品も多く制作している。画面ではダイナミックな色の配置と繊細なジップが共鳴し、縦の垂直性が強調され、巨大な色面がカンヴァスの枠を超えて拡がっていくエネルギーに満ち溢れており、観る者を圧倒する。そこには畏怖さえも感じさせるスケール感が生み出されている。1950年に制作された彫刻《ここに Ⅰ》〔図4〕や、その後に制作される《ブロークン・オベリスク》のシリーズでは、そのフォルムにおいて垂直性に重きがおかれ、観る者は作品との対峙を促され、天を仰ぎ見るかのような行為へと至る。スティルの場合、初期においては縦のフォーマットが多くを占めていたが、1954年以降は横長の作品も描かれるようになる。その過程で、当初は地となる色面に入れられていた裂け目を思わせる細長いぎざぎざの色の帯は、色斑へと変化し、色数も増えて、画面全体に色のマッス(量塊)として漂うことになる。そのため、いくつかの作品においては、グリーンバーグも指摘するように、細かな色斑が散りばめられることで、地の部分の領域が狭まり、色面としての拡がりは弱まっていく(注4)。しかし、スティルの作品の多くでは、その特徴である色彩の領域の連続性と、荒々しい自然を想起させるマチエールは、大自然がもつ崇高性と相対する人間という状況を喚起させる。またスティルは、絵画と並行して、ニューマンが彫刻を制作するよりも早い、1930 年代から縦長のフォルムの彫刻も制作している。そのフォルムは、絵画に挿入された縦長の稲妻を思わせるぎざぎざのフォルムである〔図5〕。それはスティルの初期の具象絵画の人物像のフォルムと密接な関連が指摘できるものであり、スティルの様式において、一貫して垂直性が追究されていたことがわかる。以上のように、ニューマンとスティルの作品に見出される共通性は、彩度の強い色を用いて縦に配された色の帯や斑によって、絵画に垂直的な方向性と運動性をもたらし、さらに、それらを横に並列に配することで水平性が生み出され、カンヴァスの外側へと無限に色面が拡がっていく感覚を観る者に与えることである。デイヴィッド・アンファムが指摘するように、ニューマンは、ジップの形象やその色遣いの変化など、その初期の展開においてスティルに負うところが大きいことも(注5)、両者の様式

元のページ  ../index.html#516

このブックを見る