― 510 ―しながら、作品に運動性と堅固な物質感を与えようとしていたことが指摘できる。シュルレアリスムの時代になると具象的なモティーフ、なかでも建築的要素が姿を消し、オートマティスムによる線描と澄んだ色彩が現われる。画面では、二、三の水平の層にトーテム・ポールのような縦長の垂直の形態が描かれている。また旋回する渦巻きや触覚のような描写は、動的で生命が内包するエネルギーを感じさせる。この頃、素早く描ける水彩を多用し始め、色彩の塗布において繊細な手業の跡としての筆触が看取できる。このように神話主題とシュルレアリスムの時代は、水平性と垂直性による画面構成、画面内での運動性を確認することができる。その点においては、ロスコが意図する絵画の造形性と触知性への取り組みが読み取れるが、色彩による前進と後退についての表現がまだ弱く、また作品の主題が説明的であることから、様式の発展というよりもロスコの芸術観の形成過程が作品に反映されているといえる。1947年からのマルチフォームの時代になると、線描が消え、色のマッスによる構成となる。当初は、ロスコ様式の特徴となる層状の矩形ではなく、縦長の色斑が浮遊していた。この傾向については、スティルの影響があったことが確認できる(注12)。やがて横長のマッスも表れ、画面内は縦長と横長のマッスが画面の隅から隅まで縦横に配されるカオス状態へと至り、地と図の構図がないオールオーヴァーな画面となっている〔図7〕。この様式の展開は、画面全体が色のマッスによる洪水という認識においては、カラー・フィールドへの展開と見て取れる。しかし、その過程は印象主義が辿った道程と重なり、視線は拡散し強度をもったスケール感のある作品としてはまだ把握されにくい。やがて、このカオス状態の画面に秩序と構築性を成立させるべく、色斑の数は減少し、形態が矩形へと変化していく。ロスコは、セザンヌについて「印象主義以来失われてしまった構築の力を取り戻すことに専念した偉大な画家」と評しているが(注13)、自身もそのような行動をとったといえる。その初期において、まず水平性ではなく、垂直性を基本に画面が整理されていくことが興味深いが、この点についてはニューマンと同様に、スティル受容が見られるといえるだろう。次第に画面は、ロスコ様式と称される二、三の矩形が水平に連なる独自の方向へと向かうが、留意したいのは、この過程で発生したいわゆる地と図の関係である。画面全体に着色された地に、図としての矩形が層状に配置されていくなかで、ロスコが試行錯誤していたのがカンヴァス両端の表現だ。《無題》〔図8〕では、左右に鮮やかな赤色の帯が垂直に配されることで、縦の動きが生じ、垂直性と水平性が調和した構築的画面が生み出されている。また隣接する色同士の彩度と明度にコントラストが生まれるよう熟考されていることから、前進と後退の運動性が発生している。《明るい茶色と青》〔図
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