鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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― 513 ―後退の視覚的効果を演出し、加えて観者がその細部を見ようと近寄ったり、また全体を把握しようと離れてみたりする視線の運動性を生み出している。このロスコ独特の塗りと筆触によって表現されるのが、触知性である。ロスコが記した芸術論のタイトルにも使用されている「リアリティ」というキーワードは、抽象表現主義の多くの画家たちが切実に絵画に与えようとしていたものであり、ロスコ以外にも、ニューマン、ホフマンが繰り返し使っている。この画家たちに共通していたのが、イリュージョンではなく、現実に実体として存在する絵画を創造しようとしたことである。それは、イリュージョンに対抗する言葉としてのリアリティという、いたってシンプルな考えである。彼らが絵画によって現前せしめようとした悲劇性や崇高性などの抽象的概念を、純粋な視覚的要素とともに、実際に実体のあるものとして存在させるためロスコは触知性を重視した。それが身体の痕跡を残すストロークであり、絵具の滲みであり、カンヴァスの肌理を感じさせる薄塗であった。この触知性を表そうとした理由は、作品が観者により身体的にリアルに体感されるためである。しかしながら、「カラー・フィールド・ペインティング」の画家たちは、抽象表現主義の画家たちと画面における絵具の扱いや身体的効果を重視した点については共通しているが、主題よりも様式に重点をおき、グリーンバーグが提唱した視覚性を追究した。また、色彩だけでなく、構図も含めた視覚的効果の点から考察すると、ノーランドの作品は〔図13〕、地と図の関係性を維持しながら、正面性のある同心円状の形態が微妙に色を滲ませながら拡がっていくことで、画面をカンヴァスから開放させフィールドへと拡張していくことに意識的である。その点において、ロスコ様式の地と図の関係性、矩形を連ねた正面性のある構図との類縁性を見出すことができる。また、ロスコが絵画の宿命である矩形の枠から、いかに作品を開放させ、観者が身を置く空間にまで作品世界が波及する効果を生み出すことができるかということに腐心した点と共通している。ロスコ様式の茫洋とした巨大な画面に矩形が段になって連なる構図は、矩形の連続性を示すことで、絵画が矩形という制限のなかで成立していることを意識させる。このことは、絵画特有の枠に囲まれた矩形の形態性を際立たせながら、絵画の表面性とオブジェクト性を表そうとしたといえるのではないか。と同時に、独自のスケール感と触知性の表現によって、フィールドを生み出すことを探究したのである。それは、フランク・ステラが〈ブラック・ペインティング〉でカンヴァスの矩形を反復し、やがてはその頸木を超克するためにシェイプト・カンヴァスへと移行していったことと無関係ではない。ノーランドは、カラー・フィールドとハード・エッジを両立させた稀有な存在だ

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