鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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― 523 ―戴安道とも解釈できる図様が他の伝周文筆(岳翁)の山水図にもある〔図3〕。架空の中国的な景観を描くのは室町時代の水墨山水図の常識であるが、たとえ固有の地名を付していても実景とは異なっているのは、実は、瀟湘八景図のみならず西湖図についても同様の現象なのである (注14)。そして、このことは詩画軸になるような小画面の山水図だけでなく、屏風画や襖絵のような大画面においても指摘できる。たとえば、伝蛇足筆「四季山水図襖絵」(真珠庵蔵)〔図4〕にも西湖イメージが読みとられたのではないだろうか。四阿は松谿筆「湖山小景図」とも似て橋で岸から渡れ、周辺に柳が描かれる。併せて落雁や帰帆など八景図の図様もとり合わされている。大画面で、周文派の西湖図モティーフが確認できる山水図の作例がある。岳翁や松谿ら周文派の工房作と見られる伝周文筆「四季山水図屏風」(真宗大谷派名古屋別院蔵、以下、名古屋別院本とする)〔図5、6〕である。西湖ゆかりの文人、蘇軾・林逋・白居易の詩文のイメージを盛り込んだ空想の西湖図なのだが、そこにも、橋は蘇堤の六橋らしくは描かれてはいない。同時期に、渡明経験のある秋月や如寄ら雪舟流の画僧によって、刊本に基づく現実的で名所案内図のような西湖図が制作されていたのとは対照的で、16世紀には、阿弥派や狩野派もそのような刊本をもとに西湖十景や五山文学の西湖モティーフを加えて「西湖図」を制作している〔図7〕(注15)。2.山水図屏風の西湖モティーフ名古屋別院本は、約20年前に紹介され、瀟湘八景の画面構成・モティーフを借用した「四季山水図」であると見なされてきた(注16)。左隻(本稿では、「向かって」左・右)〔図5〕の冬山の上には雨が降っており、それが瀟湘夜雨に相当し、画中に、遠浦帰帆・漁村夕照・平沙落雁・煙寺晩鐘・江天暮雪を表すが、洞庭秋月・山市晴嵐が欠けていると紹介されてきた。それらの個々の図様は、岳翁作とみなされる伝周文筆「瀟湘八景図屏風」(香雪美術館蔵、以下、香雪本)とも似ており、瀟湘八景図の図様が周文派の山水図の構成要素となっていたことが推測される。既にこれは別稿で指摘済みなので簡略に述べるが、左隻の山上の雨は、蘇軾が西湖で詠んだ詩に由来する、「雨奇晴好」の雨である。(注17)「水光瀲灎晴方好、山色空濛雨亦奇、欲把西湖比西子、淡粧濃抹摠相宜」(蘇軾「飲湖上 初晴後雨」二首)(注18)。それに対する右隻に大きく描かれた楼台上の三人の文人は、蘇軾とその父と弟で、

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