3.山水図屏風の文人モティーフはきょういわゆる三蘇とみられる〔図6−2〕。左隻の楼閣にいる文人は林逋を表し、『山園小梅』の詩句「疎影横斜水清浅 暗香浮動月黄昏」を連想させる梅が描かれている〔図5、5−1〕(注19)。画面手前の城壁には柳が描かれ、西湖といえば「蘇柳逋梅」と、五山文学で頻繁に言及される蘇軾の柳・林逋の梅のとりあわせである。右隻の遠景には、小さく橋が描かれ、これで「六橋」を表している〔図6−1〕。これは、前述の了庵賛の山水図〔図2〕で橋が一つであるにもかかわらず、柳が共に描かれて「六橋」の連想があったことが想起される(注20)。右隻の下方の馬(驢馬)に乗る文人は白居易とみなされ、湖上に白鷺が2羽飛んでいることから、「水鷺雙飛起」という白楽天(白居易)が西湖を訪れて詠んだ詩『孤山寺遇雨』の句がイメージできる〔図6−3〕(注21)。だが、そこには、「灞前述のような様々な出典のモティーフが一双に盛り込まれる例として、先に挙げた岳翁の香雪本「瀟湘八景図屏風」もあてはまる。八景の決まった図様が一双の山水図屏風に配置される中に、八景とは関係ないはずの様々な五山文学のイメージがちりばめられている。漁樵問答の漁師や樵夫、釣り糸をたれる太公望、舟に乗る王子猷、楼閣中の人物は「疎影橫斜」の林逋、あるいは子猷が訪おうとした戴安道ともとれる。これらと同じく、山水図中に時代も場所も異なる人物を取り合わせた例として、伝周文筆「四季山水図屏風」(東京国立博物館蔵、以下、東博本)がある。先行研究では、多くの伝周文屏風の中で最も古様とされる前田家本との画面構成の近似が指摘され、前田家本に雁行する15世紀前半に属するものとされている(注23)。また、やはり、東京国立博物館で所蔵の伝周文筆「四季山水図屏風」(松平本)や前田本とともに、橋の詩思」の「驢子の背」と杜甫も重ねて連想され得ただろう。蘇軾の「雨奇晴好」詩は、楼台ではなく舟上で詠まれた詩であるが、楼台があることで、やはり蘇軾が西湖を詠んだ「望湖楼」の詩が連想される。加えて「瀟湘八景」の図様もある。つまり、この屏風画は、五山文学中でなじみ深い詩と文人のイメージを喚起するモティーフを、時代も設定も絵画的に翻案して構成した、現実にはありえない「西湖図」なのだ。そして、個々のモティーフは他の文人や詩文のイメージにも飛躍しうる緩やかで複層的な意味が読み取られうるものなのである。「雨奇晴好」や「疎影橫斜」の題画詩は15世紀中葉に遡る例があり、こうした屏風画の図様が詩画軸のモティーフを取り入れつつ詩文主導で創案されたことがうかがえ、そのことは、これらの詩文が既に充分普及していたことを前提とするだろう(注22)。― 524 ―
元のページ ../index.html#534