― 525 ―香雪本・静嘉堂本よりも先行し、筆意の上で古様であるとされる(注24)。東博本は楼閣山水図だが、香雪本とも近い配置で八景のモティーフもともに描かれており、やはり周文派の名古屋別院本とも、馬(驢馬)や人物などの図様上の類似点がある。特に異なる図様としては、右隻の洞窟中の文人である。この洞窟中で、二人の人物が碁盤をはさんで座っている。これは東山(浙江省会稽)に隠棲した謝安の図であろう〔図8〕(注25)。また、右隻の左端中景の籬に囲まれた家は、陶淵明の帰去来辞のイメージだろうか(注26)。同扇の下方に描かれている舟上の文人は陸亀蒙らしく、舟に茶道具も乗せている(注27)。このように屏風画の先行作例中にみられる文学イメージの図様がすでにある程度、成熟していたことがうかがえ、名古屋別院本の画面構成を画家が構想するとき、もとになる図様のパターンがあったことが想定できる。たとえば、柳の近くの楼台の人物は蘇軾たち、雪山や夜の景色で梅の枝が近くに描かれる窓際にいるのが林逋として認識されるような図様である(注28)。恐らく、山水図が筆様制作の手本から図様や構成を借りて構想されたというだけでなく、当初から、そこに詩文の発想を喚起するような五山文学イメージが要請されていたことが推測されるのである。おわりに山水図屏風にみる五山文学イメージは、香雪本や東博本、名古屋別院本のほか、本稿では詳しく触れないが旧松平家本伝周文筆「山水図屏風」(東博蔵)、宗継筆とされる静嘉堂文庫美術館の伝周文筆「山水図屏風」、やはり宗継の「琴棋書画図襖絵」のみならず、紹仙等曽我派など周文にその祖をたどれる作品群のほか関東水墨画の式部筆「四季山水図屏風」(静嘉堂文庫美術館蔵)にも及んでおり、図様の意味は制作者にも鑑賞者にも了解されていたものだった。五山詩のための典拠の詩句をまとめた抄物にみられる文学イメージが、山水図屏風中の図様として構成されており、それは、あたかも、屏風画自体が詩作のための手引き「抄物」のようでさえある。こうした詩文イメージの図様の普及は、文学からすれば、作詩の発想が固定化するということに繋がるだろうが、それは五山文学における抄物の発達とも関係があるだろう。更に、筆様制作のもとになった図様を考慮する必要があるが、岳翁研究を手がかりにすることで、周文派の絵画と五山文学との相互補完的な関係が発展し、室町時代の水墨画の図様や構成が定まっていく様相を具体的に論証できるのである。
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