─与田寺本紺紙金字法華経并開結見返絵にみる特殊描法から─研 究 者:筑紫女学園大学 文学部 専任講師 小 林 知 美― 532 ―(申請時名:緒方知美)はじめに本論稿では、平安時代に数多く制作された紺紙金字経典見返絵(以下、経絵と呼ぶ)の一例をとりあげ、経絵にみられる独特な絵画様式である経絵様式の表現の特徴とその成立環境について考察することで、平安時代絵画史における経絵の位置づけを明らかにすることを目的とする。経絵様式〔図1〕(注1)は、ニュアンスをつけた描線によりモティーフを簡略化して描く、紙本小画面の説話画様式といえよう。その軽妙な趣は、平安時代の院政期を中心として盛んに制作された仏画や絵巻や彩色装飾経などの濃彩絵画の特徴である精緻な美麗さとは異質である。経絵については早くから「平安時代絵画史の重要な素材となる」と指摘されていたが(注2)、近年多方面での研究が進展している。経絵の様式研究にとって画期となったのは、須藤弘敏氏による経絵の定型の定義づけである。須藤氏は、平安時代の経絵を構図の上から「定型」(注3)と「大陸本直摸」(注4)の2系統に大別し、それぞれの系統における典型作品を示し、時代的様式展開を明らかにした。表現形式に関しては、小林達朗氏により、華厳五十五所絵巻をはじめとする鎌倉時代前期の経典説話絵巻への展開が(注5)、泉武夫氏により中尊寺金銀交書一切経における宋画の受容が(注6)、指摘されている。美術史研究における様式の考察において前提となるのは類型である。したがって経絵様式の研究過程で、平安時代経絵の2大系統として「定型」と「大陸本直摸」の類型が析出されてきたことは当然である。しかし筆者は、様式の問題を従前とは別の観点、経絵様式の類型における多様性─定型構図からの逸脱や、画風における巧拙・精粗の幅など─という点から再考したい。例えば、与田寺本〔図2〕と経絵の典型とされる百済寺本〔図3〕の観普賢経を比較すると、構図やモティーフや描線の些細な変化によって、画面に疎密の差ができ、説話画としての展開性の表現に違いが生まれている。このような表現形式における多様性に、同時代の他のジャンルの仏画や絵巻とは際立って異なる経絵独自の絵画としての性格が示されていると考えられる。そこで本稿では、経絵の多様性が顕著に認め㊽ 経絵様式の研究
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