鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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― 533 ―られる「脱定型」(注7)作品である与田寺本を対象として取り上げ、モティーフの特殊描法に着目して考察する。1、与田寺本法華経并開結について現状与田寺本紺紙金字法華経并開結(注8)は、法華経全8巻に開経の無量義経と結経の観普賢経を加えた10巻1具からなる〔図4〕。開経の表紙見返しを欠き、各巻の表紙中央部に破損がみられる以外、ほぼ完全な形で伝わっている。料紙の材質や法量〔表〕、経文や表紙絵・見返絵の様式から、平安時代後期12世紀後半の作で、当初からの一具であると判断できる。各巻とも平安時代の紺紙金字法華経に通例の体裁で、経文は銀界に一行一七字を金字で書き、表紙には全体に宝相華唐草文を金銀泥で描いて題箋に金字で題目を書き〔図5〕、見返には二重の銀界線の中に釈迦説法図と経意絵とを金銀泥で描く〔図2、8、10〕。与田寺本の伝来に関する史料として、与田寺所蔵の『與田寺旧記』(注9)に含まれる複数の文書のうち、元禄13年(1700)の『誉田寺虚空蔵院水主村大水寺由緒』(注10)の「霊宝之事」条に「中将姫自筆」の「紺紙金泥法華経一部八巻(中略)開結合十巻」とある。さらに延享4年(1747)の『医王山旧記』(注11)には、同経典と伝春日作の観音像がともに、御八講の転経と本尊として寄附されたこと、その寄附の綸旨などが天正年間の兵火で焼失したことが記されている。与田寺本がこれにあたるとすれば、天正年間以前に法華八講のため某天皇から施入された作品ということになる。画題 まず画題の面からみよう。与田寺本の見返し絵には、紺紙金字法華経の経絵の通例にしたがい説法図と経意絵が描かれている。各巻に描かれた経意絵の画題を「」付きで挙げる。なお、後に言及するモティーフの特殊描法も※付きで挙げておく。巻第一:正面向き釈迦説法図、経意絵は描かれていない。巻第二:斜め向きの釈迦説法図、「三車火宅」。巻第三:斜め向きの釈迦説法図、「雨中耕作」。※「暈し」描法巻第四:わずかに斜めを向く釈迦説法図、「宝塔涌出」、「菩薩涌出」。巻第五:わずかに斜めを向く釈迦説法図、「龍女奉珠」、「仙人給仕」。巻第六:正面向き釈迦説法図、「良医妙薬」。

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