鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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― 534 ―巻第七:「仏手磨頂」、「常不軽菩薩」。巻第八: わずかに斜めを向く釈迦説法図、「二童子神変」、「山頂落下」、「海難救済」。※「泥散らし」描法観普賢経:「普賢来儀」、「山中持経者」。与田寺本の画題は平安時代の法華経の経絵として定着していたものであるが、1画面に描く経意絵の数が1、2話(巻第八のみ3話)と少ない。とくに平安時代のほとんどの経絵に描かれる画題(巻第一の「童子造塔」、巻第三の「大王饗膳」など)が省略されている点、さらに個々の説話において重要な意味を担うモティーフ描写に省略・変更が認められる点に着目したい。例えば、法華七喩の一つである巻第二の「三車火宅」は、長者である父が火宅で遊ぶ童子らに羊・鹿・牛の三車を方便として示し災難から救った上で大白牛車を与えるという、釈迦の衆生救済の比喩であるが、与田寺本〔図6〕ではその最重要モティーフの父が省略され、三車が二車に変更されている。平安時代の法華経の経絵には、伝統的画題選択に限定せず新たな画題・モティーフを加える作例もあるが(注12)、与田寺本は逆に画題・モティーフとも減少させる。このような経文の逐次図解にこだわらない融通的傾向は、与田寺本と同じ脱定型の大山祇本(注13)にも認められる。表現形式(構図、モティーフ選択と特殊描法)与田寺本では、画面の中央に正面向きの釈迦説法図を置く定型と、それを逸脱する脱定型が混在している。構図、モティーフ選択、特殊描法などの変化が表現にどのような影響を及ぼすか、全巻定型構図による百済寺本と比較する。巻第三をみよう。百済寺本〔図7〕では、画面上方に霞に浮かぶ遠山、画面中央から下方に金銀の帯を重ねた土坡、その間を余白とする構図で、一定の奥行きを備えた空間を構成する。画面両下方隅に「大王饗膳」(左下)と「雨中耕作」(右下)の2画題が描かれている。釈迦の均整のとれた体躯が、大きく堂々と描かれ、画面の重心をなす。説法図と経意絵とは、配置や大きさの比率から主従の関係にあることを感じさせる。与田寺本〔図8〕では釈迦説法図をわずかに左に寄せ、画面右方に「雨中耕作」の一画題のみが描かれる。釈迦はやや頭部が大きく、速筆で簡略に輪郭され、その大きさは周囲の経意絵モチーフとあまり差がないため、説法図と経意絵が主従の関係ではなく、対等に同一空間に包摂されている印象をうける。与田寺本では、モティーフに関して着目すべき3点を指摘できる。第一は位相の異

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