注⑴宮次男は経絵様式を次のように述べている。「これら(善財童子絵巻などの)経典説話絵巻にみられる、樹石や花鳥、山野の描写は経典見返絵にみる経絵様式で示されているので簡潔でわ― 537 ―格は、経絵の絵画表現におけるモティーフ選択や描写に共通している。経絵の作者である画師は、僧侶として当然ながら法華経の内容は熟知していたであろう。また、自分の制作した経典が用いられる八講に参加することもあったのではないか。作善としての経典制作に関わる経絵の画師が、経絵を描くに際し、実際のもしくは描きなれ記憶してしまった「定型」を手本とし、自らの理解した法華経のエッセンスを表現するなかで、モティーフ選択や描写に変化が生み出されていったのではないか。おわりに─平安時代絵画史における経絵─経絵には、「定型」が見る者にもたらす強固なパターンの印象や、金銀素材のもたらす目くらまし効果の陰に隠れながら、実際は「定型」経絵も含む多くの作品において、構図や画題選択やモティーフ選択や描写に些細な変化が認められ、その集積結果としての多様性が備わっているのである。経絵に対しては、線描という技法やモティーフ描法などに関して、他のジャンルの絵画との共通点がしばしば指摘されてきた。儀軌に忠実な白描図像や、説話の展開性の表現を追求する絵巻と比べた場合、経絵独自の様式的特徴として挙げられるのが軽妙さであろう。この軽妙さが、宮次男氏のいう「観る者は、おのずから親近の情を感ぜずにおれなくなる」(注21)という経絵様式の印象の原因となっていると思う。それは、技術洗練に価値をおく専門絵師たちによる絵画とは異なる、多様な作者の関わるジャンル様式としての最大公約数的な性格といえよう。成熟した審美眼を備えた貴顕の発願になる仏画や、時間をかけて鑑賞される絵巻とは異なり、経絵はその経典を開き読むものが表紙を紐解いた一瞬だけ目にする絵画である。「常の如き」としか評されることのなかった経絵は、発願者よりむしろ経典制作に関わった作者自身の、法華経持経者としての、法華経理解の表明としての意味を持ちえた絵画ジャンルであったのではないだろうか。宮廷絵師による絵巻と共通するモティーフの特殊描法が、経絵において萌芽の段階にとどまり洗練の道を進まなかったという事実に、表現至上主義とは異なる、画師の信仰という内発的志向を持った絵画としての経絵の性格が示されていると思われる。
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