研 究 者:東京藝術大学 美術学部附属古美術研究施設 助教 金 子 明 代1.序文狩野元信(1476〜1559)は、始祖正信(1434〜1530)の後を受け、狩野派を方向付けた人物である。不安定な政情にあって、広範な顧客の需要に応えるために大勢の弟子を率いたことが、膨大な伝元信筆作品群より窺える。その画業は、作画方式の規格化を推し進め、ついには自己の様式による真・行・草の「画体」を成立させた、工房主としての側面が大きいことが、先行研究により指摘されている(注1)。本論では、元信の大画面造成について、山水図を中心に考察する。大観的な視点から大画面山水図と大画面花鳥図とを対置することで、両者の性格の相互補完的な理解を目指し、室町時代末期にあった元信の「中世」を明らかにすることを試みる。2.香雪美術館本「四季山水図」屏風香雪美術館「四季山水図」屏風一双〔図1〕は、元信の楷体山水図の基準作とされる右隻と、近年永徳の筆とする言及がなされている後世補われたと想定される左隻からなる(注2)。当初より一双で四季が展開したと考えられ、右隻には春夏の景が展開する。左右近景のブロックと中景のブロックとは、それぞれ水景を挟んで並行する緩やかな対角線を描く。しかしながら、中景のブロックの中心を第3扇目にずらすとともに第1、2扇の背の高い松樹が中景の端を一部隠すこと、第3、4扇にみる中景の汀とそれを受ける第4、5、6扇近景の汀とが複雑なリズムを刻むことなどによって、単純な対角線構図とは気づかせない工夫をみせる。景物の描写は克明で、近景の岩塊は墨の濃淡と並行に賦した皴により奥から前へと突出するかのような量感をみせる。同様に、車輪状の松葉や土坡の点苔、垣根や茅屋後ろの竹林など、細部まで丁寧に描出する。対する遠景描写は筆数が抑えられ、細部を追う視線は、各ブロックの中での自然な奥行を捉えるとともにブロックが形作る大きな構図を捉え、水景を挟んだ次のブロックへと導かれる。低い視点から望遠した本図は、広さと自然な奥深さとを有し、破綻なく安定した空間が画面全体に展開する。辻惟雄氏は、本図を元信壮年期の永正10年(1513)の大徳寺大仙院画と晩年期の天文12年(1543)の妙心寺霊雲院画との中間にある、楷体山水図の基準作とされている(注3)。量塊性に富む的確な筆致と卓抜した構成力、自然な空間性をみせる本図は、― 543 ―㊾ 元信様山水図の研究
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