― 544 ―元信様楷体山水図中一線を画すものである。ここにみる対角線構図は、大仙院方丈衣鉢之間「禅宗祖師図」襖(注4)にみる対角線構図より複雑さと安定性を増している。大仙院画は近接拡大した構図という相違はあるが、祖師たちの逸話を布置する舞台は、水景越しに並行に走る土坡を対置する単純な対角線構図であり、その単純さを回避した香雪美術館本右隻の構図は、一歩進んだ感がある。また、辻氏が同じく元信楷体山水図の基準作に挙げる作品に、頴川美術館「真山水図」〔図2〕がある(注5)。香雪美術館本右隻に比し、例えば樹叢の葉の描き分けなどは丁寧かつ微細で、繰り返される中で摩耗し削げ落ちていく痕を未だみせないようである。同時に、樹木や岩塊の形態にはやや均衡を欠く点が見受けられる。山本英男氏は、その描写密度の高さと原点の未消化ともとれる細部手法から、大仙院障壁画よりも先行する元信の真体山水画様式の形成途上にある作品と位置付けている(注6)。対する香雪美術館本右隻の描写は、原点との折衝を繰り返したのちの手慣れた安定性を得ているように思われる。本図は、武田恒夫氏が初期狩野派による墨画山水図屏風の典型とされるように(注7)、元信様楷体山水図中において最も安定した均衡を持つ、重要な作品といえる。3.先行様式との関係性についてこの大画面山水図の構成は、一双屏風の両端に構図の重心となる主景を、水を湛えた中央に中景から遠景を布置した大観的な山水景に、四季を導入する、伝周文筆山水図屏風群の構成に由来するものと考えられる。その構図法は、周文筆東京国立博物館「竹斎読書図」のような、南宋馬遠の辺角構図から発展したと考えられる詩画軸の対角線構図(注8)を、大画面に導入したものと思われる。山下裕二氏は、伝周文筆山水図屏風の多くが周文の活躍期よりかなり後の応仁の乱(1467〜77)以降の制作になる可能性を指摘されている(注9)。それらの中には松谿や岳翁、小栗宗継画との親近性を指摘される作品があり(注10)、狩野正信の活躍期における大画面山水図の様相をある程度想像することができる。周文没後の画師たちによる大画面へのアプローチは一様ではないながらも(注11)、特にその構成においては通底する一定の「型」を保ちながら、創出され続けたものと思われる。山下氏は同時に、伝周文筆山水図屏風群の大画面構成の未熟さをそのまま制作年代の古さとできないことも指摘されている(注12)。しかしながら、前田育徳会本「四季山水図」屏風は、右隻主景に並ぶ山岳が細く高くそれぞれに独立した山容をみせる
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