鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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注⑴ 辻惟雄氏による「狩野元信(一)〜(五)」『美術研究』246、249、270〜272号、1967〜1971年(同氏『戦国時代狩野派の研究 新装版─狩野元信を中心として─』吉川弘文館、2011年所収)。⑵ 右隻については、辻氏による前掲注⑴書、129〜130頁、大西廣氏図版解説(吉沢忠、衛藤駿、戸田佑、大西廣『日本屏風絵集成 第2巻 山水画 水墨山水』講談社、1978年、106〜107頁)を、左隻については、山本英男氏作品解説(京都国立博物館編『特別展覧会狩野永徳』毎日新聞社ほか、2011年、251頁)を参照。⑶ 前掲注⑴書、167〜168頁⑷ 衣鉢之間の障壁画の制作年代については、建築史の研究から問題提起がなされている(西和夫氏作品解説[辻惟雄、戸田佑、千野香織、山下裕二編『日本美術全集 第13巻 雪舟とやまと絵屏風』講談社、1993年、235頁]参照)。⑸ 前掲注⑴書、130、168頁⑹ 山本英男氏図版解説(『室町時代の狩野派─画壇制覇への道─』京都国立博物館、1998年、264頁)参照。その原典として、辻氏が江戸時代の狩野派模本との関連を指摘される伝閻次平筆「鏡湖帰棹図」に類する作品(前掲注⑴書、336頁)を想定されている。⑺ 武田恒夫『狩野派障屏画の研究─和様化をめぐって─』吉川弘文館、2002年、53頁⑻ 衛藤駿「水墨山水画屏風の成立と展開」『日本屏風絵集成 第2巻 山水画 水墨山水』講談⑼ 山下裕二「中世水墨障屏画小史」『日本美術全集 第13巻 雪舟とやまと絵屏風』講談社、⑽ 衛藤駿氏図版解説(前掲注⑵書、69〜70頁)、山下氏図版解説(前掲注⑷書、218〜221頁)参照。また、神戸市・太山寺本「四季山水図」屏風については、狩野派のうち特に正信との関連が指摘されているようである。⑾ 山本氏図版解説(前掲注⑷書、218頁)参照。⑿ 山下氏図版解説(前掲注⑷書、219頁)参照。大画面水墨山水図の出現においては、大西昌子氏によって鎌倉時代末期の画中画資料に既に描かれていたこと、その摂取が禅林においてのみではなかったことが指摘されており(同氏「日本の初期水墨画史の再検討─画中画資料による─」『美術史』112号、1982年、103〜111頁)、すでに13世紀末より日本において大画面水墨山水図の土壌が育まれていたことを明らかにされている。⒀ 衛藤駿『日本美術絵画全集 第6巻 相阿弥/祥啓』集英社、1979年、122頁 参照。⒁ 相澤正彦『関東水墨画』国書刊行会、2007年、15〜17、126〜127頁。『屏風画記』については、塚原晃「正宗竜統「屏風画記」における芸阿弥筆四季山水図屏風について」『美術史研究』第27号、1989年、108〜109頁 を参照。⒂ 島尾新『日本の美術 338号 水墨画―能阿弥から狩野派へ』至文堂、1994年、43〜50頁。さらに、そうした共通性は芸阿弥と接触する以前に画かれたと考えられる正信筆長林寺「瀧山水図」には現れない特徴であることも指摘されている。⒃ 山本氏図版解説(前掲注⑹書、256〜257頁)参照。⒄ 前掲注⒁塚原論文、108頁⒅ 前掲注⒁塚原論文、105〜107頁⒆ 山下裕二「夏珪と室町水墨画」『日本美術史の水脈』ぺりかん社、1993年、801〜834頁⒇ 前掲注⒆論文、828頁、前掲注⑼論文、152〜153頁― 550 ―1993年、149〜150頁社、1978年、142頁

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