鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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1.東京時代―パフォーマンスへの開眼研 究 者:新潟県教育庁 文化行政課新潟県立近代美術館 主任学芸員  濱 田 真由美はじめに東京教育大学の彫塑科出身だった彼女が、なぜ「ヴィデオ」という当時の最先端メディアを取り入れるに至ったのか。そこには、彼女が若き日に出会い、憧れ続けたパイクの存在が欠かせない。だが、久保田がパイクと出会った1964年当時は、彼はむしろフルクサスのメンバーとして、各地でダダ的なパフォーマンスを中心に活動を展開していた。つまり、二人が出会う契機となり、また彼らに新しい芸術の方向性を示したのは、当時盛んに行われたパフォーマンスやハプニングといった前衛芸術運動の場であった。本稿では、久保田成子が作家としてデビューを果たした東京での初個展から、アメリカでの初期の活動までを追うことで、彼女の創作の原点とヴィデオ作品誕生の背景を明らかにしたい。新潟で生まれ育った久保田成子は幼い頃から美術に親しみ、高校2年の時には二紀会に入選するなど、素質にも恵まれていた。また、両親とも美術に理解があったため、久保田は高校時代からプロの美術家に師事し、大学も美術系の学部に進学することができた(注1)。「女性の彫刻家はいなかった」(注2)という理由で、東京教育大学の彫塑科に進んだが、同校教授たちのアカデミックな指導に不満を抱き、授業にはほ― 555 ―1960年代に渡米して以来、ニューヨークを拠点に活動する久保田成子(1937−)は、「ヴィデオ彫刻」の先駆者として知られている。ヴィデオ・アートのパイオニアであり、夫のナムジュン・パイクが実験的映像作品を数多く生み出したのに対し、久保田は剥き出しのモニターの代りに、映像に彫刻的フォルムを与えることで独創性を発揮した。これによって、映像作品がミュージアム・ピースとして展示可能となり、彼女の《デュシャンピアナ:階段をおりる裸婦》〔図1〕は、ニューヨーク近代美術館で最初のヴィデオ・インスタレーションのコレクションとなった。2.2012年度助成①ヴィデオ・アーティスト 久保田成子の初期制作について─フルクサスおよびナムジュン・パイクとの関係を中心に─

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