研 究 者:國學院大學 文学部 准教授 橋 本 貴 朗はじめに「三跡」(注1)の一人に数えられる藤原行成(972−1027)を祖とする世尊寺家は、17代・行季(1476−1532)に至るまで、代々朝廷の書き役を務めた能書の家として知られる。猪苗代兼載(1452−1510)の連歌論『兼載雑談』には「世尊寺は、手跡の家なり」「家の手跡といはむは、今は世尊寺殿、清水谷殿となり。彼の両人行成卿の子孫なり。三跡の二はたえて、権跡ばかり今はのこりたるなり」(注2)と見える。南北朝・室町時代においても、平安時代以来のいわゆる王朝文化は大きな位置を占めていたのであり(注3)、そうした伝統に棹さす世尊寺家もまた重要な役割を果たしていたと推察される。従来、当該期の書道史は時に墨跡に重きが置かれ、世尊寺家に関する研究は必ずしも盛んとは言い難いが、多賀宗隼「世尊寺家書道と尊円流の成立」1・2・3(『画説』52・53・55号、東京美術研究所、1944年)(注4)をはじめとして、着実に成果が積み重ねられてきている(注5)。近年、高橋秀樹「能書の家」(『和歌が書かれるとき』和歌をひらく2、岩波書店、2005年)が古記録等の検討によって、同家の能書としての職能の解明を進展させており、次いで期待されるのが、世尊寺家の書そのものの解明ではないだろうか。如上を踏まえ、本稿は、絵巻物の詞書や古筆切等の調査・検討を通して、世尊寺家の書法の実態を考察するものである。南北朝・室町時代において継承された同家の書法の一端を具体的に提示することを目的とする。以下、第1節では世尊寺家による書写の確かな遺例から、同家の書法の特徴の一端を明らかにしたい。そして、書論等の文献の検討とあわせて、その継承の如何について考察する。第2節では、世尊寺家を伝称筆者とする古筆切のうち、特に「長門切」を取り上げる。近世の古筆鑑定の性格について確認した上で、同断簡に世尊寺家の書法を窺うものである。あわせて、その書法の淵源にも及びたい。1 世尊寺家の仮名書法本節では世尊寺家の書法、なかでも仮名に焦点をあてて、その書法上の特徴について考察する。― 565 ―②南北朝・室町時代における世尊寺家の書法継承─絵巻物・古筆切を中心として─
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