『入木抄』の記述も鑑みれば、絵巻物の詞書や歌集の書写もまた、継承された家の書法によってなされたのではないかと推測される。以上あわせて考えるに、当該期の世尊寺家に継承された家の書法のあることを認めて、上述の行尹筆「七社切」などに共通して見られる太線による連綿を、その一端と指摘するものである。2 「長門切」に見る世尊寺家の書法「長門切」は『平家物語』の異本(『源平盛衰記』に近いとされる)の断簡で、日本文学研究から近年とみに高い関心が寄せられている(注18)。その名称は、手鑑『藻塩草』(京都国立博物館蔵)に附属する古筆了伴(1790−1853)編の目録(弘化4年(1847))に「行俊 長門切」(注19)と見える。古筆了仲(1820−91)編『増補新撰古筆名葉集』(安政5年(1858))では「同(世尊寺殿。稿者注)行俊卿 平家切 巻物平家物語上下横卦アリ」(注20)と記される。近年翻刻された、いわゆる写本系名葉集にも、次のように該当するものが確認できる。・『類葉集』(岡山大学附属図書館池田文庫蔵)…行俊 巻物切 平家物語・『古筆類葉集』(名古屋市蓬左文庫蔵)…行俊 巻物切 平家物語・『明翰鈔』(西尾市岩瀬文庫蔵)…行俊 平家物語切 四半大キ成物(注21)田中塊堂(1896−1976)編『昭和古筆名葉集』(京都鳩居堂、1947年)では「同(世尊寺殿。稿者注)行俊■ 応永十四年四月十日 平家切 巻物平家物語上下横罫アリ高一尺」(注22)とまとめられている。いずれも筆者を世尊寺行俊(?−1407)としており、古筆切に付された極札も同様である(後述の新出断簡を除く)。行俊は世尊寺家14代当主。「慕帰絵詞」巻10詞書の筆者である伊兼の子で、13代・行忠の養嗣子となった。官位は、従二位・参議に至る(注23)。この「長門切」における世尊寺行俊のような、およそ近世以前の古筆鑑定に係る筆者は、実際の筆者か定かでないもの、あるいはそれとは異なる場合が少なくない。すなわち、今日いう伝称筆者である。古筆鑑定及び伝称筆者については、木下政雄「手鑑にみる古筆切の排列について」(『日本文化史研究』7号、帝塚山短期大学日本文化史学会、1984年)等により考察が加えられ、その意義・性格が再評価されつつある(注24)。それは、格付け・書写年代・様式などの指標としての性格を認めようというものである。― 568 ―
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